世界にはめずらしい映画がたくさんある。
だけど国家元首みずからが監督をし、かつ主演男優として出演もしているという点でこの映画は突出している。この映画『ボコールの薔薇(Rose de Bokor)』という。監督&主演はシアヌーク殿下。カンボジア独立の父といわれる人物である。シアヌーク殿下が扮するのは、なんと日本陸軍将校であった。長谷川一郎大佐という主役である。
国家元首がメガホンを取り主役を演じる。それも日本陸軍将校として。
さらに驚くのは、この映画が北朝鮮で撮影されたということだ。だから、映画が始まると金日成の肖像と彼をたたえる字幕がありし、セリフは朝鮮語に吹替えられている。BGMもどこか北朝鮮ふうである。だとすれば日本軍はいつものように敵か悪役で登場だろうと思いがちだ。だが意外とそうではない。むしろカンボジアの独立に寄与した救世主の扱いである。映画には北朝鮮兵士200人が日本兵の役どころで登場。「捧げ銃(ささげつつ)」などの敬礼もする。フランス国旗が降ろされ、日の丸が掲揚されるシーンでは君が代が流れる。この映画の試写会では、金日成も金正日も参加し「素晴らしい映画だ」とシアヌークを褒めあたと、場に居合わせたニューヨーク・タイムズの記者が述べている。大の反日国家、北朝鮮。あまりに不思議すぎて、頭がくらくらしてくるではないか。
1941年フランス領インドシナへ進駐した日本軍。このときフランスはドイツに降伏しており、傀儡のビシー政権であった。よってドイツの同盟国である日本とはフランスとは戦争状態になかったが、1945年3月ドイツが降伏しそうになると、先手を打って日本はフランスに宣戦布告し、明号作戦を発令。インドシナ全土のフランス軍を駆逐し、武装解除させた。こうして日本軍はフランスを敗走させ、仏領インドシナを解放した。同地に含まれるベトナム、ラオス、カンボジアが相次いで独立したというわけだ。カンボジアでは国王の位にあったシアヌーク殿下が初代国家元首として迎え入れられた。
というのがこの映画の時代背景である。カンボジアの都市、ボコールでフランスの総指揮官が退陣し、シアヌーク殿下扮する長谷川大佐がこれに取って代わるシーンが映画にある。フランス国家が流れ、君が代が流れるなか、交代式はおごそかにおこなわれた。
史実、カンボジアの独立は日本が敗戦するまでのわずか数カ月に終わった。やがて戻ってきたフランス軍によってカンボジアは再支配される。1953年にカンボジアは再度独立し、シアヌークは国家元首に返り咲く。だがアメリカの差し金であるロン・ノル将軍によるクーデターがあり、シアヌーク殿下は中国に亡命。北京と北朝鮮の平壤で半分ずつ暮らした。映画はこのとき作られたのだろう。平壌郊外に宮殿を建て、静かに過ごした。
歴史に翻弄され、国王としてカンボジアの独立に貢献した日本を敬った。映画でその陸軍将校役を演じたのも国の救世主である日本軍の羨望によるものかもしれない。奥さんであるモニク王妃をヒロイン役として登場させ、はたから見てても照れるようなシーンもある(「ボコールの薔薇」とはこの女性を象徴)。
実際の映画のシーンはこんな感じだ【クメール語吹き替え版】。
▲ 開始後いきなりのエンドロール、フランス語とハングル文字が併記されている
▲ カンボジアの都市ボコールに進駐する日本軍将兵を歓迎する地元の人々
▲ 日本兵士役の北朝鮮兵士。衣装も含め、いささかリアリティにかけるけど
▲ 日本軍がやってくると知って、沿道に馳せ参じる地元青年団。時代考察を無視し衣装に注目
▲ 敬礼する兵士の手前には天皇陛下の御真影が(撮影は北朝鮮であることを思い出して欲しい)
▲ フランス軍総指揮官の葬儀に参列する日本将兵。敬礼と捧げ銃で敬意を表しているところ
▲ カンボジア国旗と日本国旗が並んで掲揚される
そもそも監督以下、俳優全員がシロウトだし、北朝鮮ロケだったりすることから、お世辞にも鑑賞しやすい作品ではない。けれども随所に日本へのリスペクトが散りばめられ、日本人としてはなんともありがたい作品でもある。それだけに、反日映画を量産し、日本を悪漢としか登場させない北朝鮮のお膝元で撮影して大丈夫だったのかと、逆に心配になってくる。だが、試写会に居合わせたニューヨーク・タイムズのヘンリーストークス記者が記録しているように、金日成と金正日親子をして「素晴らしい映画だ」と言わせているのだ。シアヌーク殿下は平壌郊外に宮殿を建てるなど、同国では迎賓されていたのも事実。「親日派はすべて敵」といういまの朝鮮半島の風潮に比べれば、以前はまだマトモだったのかもしれないと思う。
その後、キリング・フィールドなどに象徴されるポル・ポト派による悪夢のようなカンボジア内戦が勃発した。同じカンボジア人が170万もの同胞を虐殺するという悲劇は、いたたまれないものがある。それがようやく終焉し1993年、シアヌーク殿下は亡命先からカンボジアに戻り、三度(みたび)国家元首に就任する。不幸のどん底にあってもカンボジア国民の彼への絶大なる信頼と尊敬は変わることなく、それは殿下のお人柄なのだろうと思う。
「世界でもっとも多彩な経歴を持つ国家元首」としてギネスにも登録されているシアヌーク殿下は、2012年10月、静かに波乱の人生を閉じた。享年89歳。世界に轟くほどの大声で「歴史を直視しなければならない」などと反日キャンペーンが吹き荒れる昨今にあっては、とくに故人のことが偲ばれるのだ。
▲ 晩年のシアヌーク殿下。福顔そのものである
いまなお親日国であるカンボジア。
たどってきた史実はひとつである。だが歴史感は為政者やメディアがそれをどう教えるかで100も違う。
最近のコメント