朴槿恵(パク・クネ)大統領のお父さん、朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領は旧日本陸軍の軍人であった。それも陸軍士官学校出身の中尉、バリバリの将校である。みずから創氏改名し、高木正雄と名乗っていた。戦後は韓国名に戻し、兄とともに共産党員として暴動事件を起こしたりした(10.1暴動事件)。兄は逮捕されて死刑になったが、彼はうまく米軍に取り入り朝鮮戦争では韓国軍将校として戦った。頭もよく、したたかな男である。
ぼくが生まれた年、朴は韓国の大統領となった。功績はなんといっても戦後断絶していた日本と国交を結んだ日韓基本条約の締結(1965年)だ。そもそも日本と韓国は戦争をしていないし、戦場になったのは自分たちが勝手に始めた朝鮮戦争によるものである。それを、いくらなんでも取りすぎだろうと思わるほどの賠償金を日本側から引き出してみせた朴正煕、やっぱりしたたかである。
せしめた賠償金は「戦後補償のため」という名目で、日本政府から無償3億ドル、借款2億ドル、民間借款の3億ドルの合計8億ドル。当時の韓国の国家予算の2倍もあった。こうして朴は朝鮮半島に残された日本政府の全資産(約760億ドル)とそこで暮らしていた日本人の全財産を放棄させたうえ、8億ドルを上乗せしたのだ。
同じく発展を遂げた平壌の街並み(1930年)
日本政府は韓国国民に直接補償したいと申し出たが「個人への補償は韓国政府に一括させて欲しい」と断わり、本来の目的であったはずの傷痍軍人や民間への補償にはたったの5.4%しか回さず、あとはぜんぶポケットに入れ公共設備や民間企業のために使った。国家予算の2倍ちかいカネをふんだんに使い、俗にいう「漢江の奇跡」を起こした。
韓国人の反日感情は「日本はひどいことをしたうえ謝罪も賠償もしない」という思い込みに基づくが、日本はひどいこともしてないし、倍賞ならたっぷり払ってきた。韓国政府がそのことを自国民に教えていないだけのこと。せしめたカネを使って高度成長を遂げておきながら、まるで自力で「奇跡」を起こしたかのようにした。日本に補償費をださせ、ほとんど補償に使わなかったわけだ。こんなもの、バツが悪くてとても自国民には知らせられない。
確信犯の朴正煕は当時の福田首相との酒席でこう言い残している。
「日本の朝鮮統治はそう悪かったと思わない。自分は非常に貧しい農村の子供で学校にも行けなかったのに、日本人が来て義務教育を受けさせない親は罰すると命令したので、親は仕方なしに大事な労働力だった自分を学校に行かせてくれた。すると成績がよかったので、日本人の先生が師範学校に行けと勧めてくれた。さらに軍官学校を経て東京の陸軍士官学校に進学し、首席で卒業することができた。卒業式では日本人を含めた卒業生を代表して答辞を読んだ。日本の教育は割りと公平だったと思うし、日本のやった政治も私は感情的に非難するつもりもない、むしろ私は評価している。」【金完燮 日韓「禁断の歴史」】
韓国はいまや「親日」であることが致命傷となる。朴槿恵大統領がことあるごとに日本を悪くいい、他国を巻き込んで日本バッシングするのも、もとは父親の「親日ぶり」と「せしめた補償金の使いみち」について自分に火の粉が飛んでこないようにするためのカムフラージュだと、ぼくは思ってきた。本音はあくまでも日本とうまくやリたいと思っているに違いないと。だがいくつかのポイント・オブ・ノーリターンは過ぎた。おそらく事情が許さなかったのだろう。朴槿恵は安倍総理と握手をしたが国内にはそのことをかくしている。安部総理もどうせ仲直りできないんだからと、公約通り靖国に参拝した。過熱するメディア、嘘が嘘を塗り固めてしまう体質は、強気の発言を引っ込められないほどのコンプレックスを露呈させている。
それにしても「韓国の歴史はヒストリーでなくファンタジー」と世界から揶揄されるほど、歴史を修正してしまうのはなぜなのか? そのヒントが朴正煕の著書に残る。
「わが民族史を考察してみると情けないというほかない。われわれが真に一大民族の中興を期するなら、まずどんなことがあっても、この歴史を改新しなければならない。このあらゆる悪の倉庫のようなわが歴史は、むしろ燃やして然るべきである」【朴正煕選集2 国家・民族・私】
「歴史を改新しなければならない」とはちょっと日本人にない発想である。早い話、恥ずかしい歴史はカッコよく書き換えてしまえ!というわけである。歴史をゲームソフトかなんかだと思っているのだ。娘の朴槿恵はもとより歴史認識を相手に責める資格も論拠もないけれど、これもお父さんの残した言葉には想いを馳せてのことなのかもしれない。
もう少し馳せてくれれば、日韓首脳会談は実現可能なのだけど。
▲ 岸(元)首相(安倍晋三の祖父)は日韓基本条約の立役者でもあった
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