あーもう見えない!
なかばキレ気味で老眼鏡を買う。
本屋でついでに売っているような老眼鏡は度が強すぎるので、メガネ屋さんに行った。日本橋のJINS!安くて軽くておしゃれなメガネが選べると評判だ。かどうかは実はよくわからない。たまたま店員と目が合ったのでこれも縁かなと思い入っただけである。ちょっと日本語が怪しい韓国人の女の子だった。
視力検査をし、フレームを選び、待つこと30分。生涯始まって以来の老眼鏡が出来上がった。レーシック術後以来、メガネそのものが久しぶりである。鏡に写るメガネを掛けた自分に「やあ、ひさしぶり!」と言ってみる。「お客さま、数年前にレーシックされたんですか?」と店員が訊く。なかなか鋭い。「そういう方、よくいらっしゃるんですよ」んだそうだ。言われてみれば、なるほどだ。40をすぎてレーシック手術すると、遠視になりやすいと聞いたことがある。新手の商売か?
せっかくの老眼鏡だが、使うシーンは今のところ限られている。満員電車で本を読むときと、会議の時に配られる資料を見るときだ。前者は近すぎて、後者は文字が小さすぎるから裸眼だと読みづらい。まだあった。雑誌を読むときだ。とくにBRUTUSやミュージックマガジンあたりは、あらためて文字が小さかったことに気づかされる。老眼にはキツイ。もしかしたら「読みにくい歳になったら読むな」ということだろうか。いい歳こいてブルータスもないだろうと。なにしろもう50である。四捨五入したら100歳だ。
買った老眼鏡だが、まだ一度も使う機会がない。
満員電車では身動きが取れずそもそもメガネを取り出せないし、会議室にはたいていメガネを忘れる。それから雑誌は電子本しか読まなくなった。これなら指を広げて大きくすればいい。
はたしてなにが見えなくて自分はキレそうになったのか。見えなかったのは老眼のせいではなかったのかもしれない。いまとしてはうまく思い出せないが、人はそのようにして大人の階段を登っていく。老いて、いろんな部位が少しずつ弱くなる。ガタがくる。しかもこの階段、やっかいなことに登るだけで下りられない。いやなら踏み外すしかないのだ。望まなくても、ぼくなんかしょっちゅう踏み外しているのだが。
ときどき「若く見えますね」と言われる。
そのことがだんだん苦痛になりつつある。
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