こちら側からみれば英雄も、相手側からみればテロリスト。こうした認識の乖離は、国家間ではごく普通にありえる。だから国際外交で互いに配慮し、よけいな摩擦を生じさせないよう努力する。そんないわくつきの像を、自国のほかに第三国にも建てようと思うだろうか? 普通は思わない。
ただひとつ、韓国を除いては。
韓国がしようとしているのは、100年以上も昔に伊藤博文を暗殺した安重根という男の像を、暗殺現場である今の中国のハルビン駅前に建てようというもの。朴大統領が持ちかけ、習近平が合意した。両国の手をつないでいるのは「反日」という名の接着剤。シンナーのように、劇薬だが陶酔もさせる。
ただの殺人者を英雄に祭り上げるには、殺された伊藤博文がだれが見ても疑いなくひどいヤツだったかを示し、正当性を証明する必要がある。だがどの論拠も幼稚すぎて、客観性に乏しいものばかり。例によって、つじつまが合わないところを感情論で埋めようとしている。
これを言っちゃみもふたもないのだけど、伊藤博文を殺したのは実は安重根ではないという説がある。検死の結果、伊藤を撃ちぬいた3発の銃弾(うち二つが体内に残っていた)が安のもつブローニング銃ではなく、フランス騎兵銃のものであったからだ。しかも体内を通る銃弾の角度からして、安の立つ場所より高い位置、ちょうど駅舎の二階あたりにスナイパーを忍ばせ、銃身の長い騎兵銃で伊藤を撃ち殺したのだろう。まるでケネディ大統領暗殺のようである。
▲ 安重根に撃たれたとされる直後のようす
もともと併合に反対していた伊藤が殺されたために、日韓併合が早まったとされる。このことをして安重根は愚かだというひともいる。伊藤自身、瀕死の状態で側近に「だれが撃ったか?」と問い、朝鮮人だときくと「ばかなことを・・」と言いながら息絶えたと言われる。だがそもそも彼を殺傷したのが違う弾だったとすれば、話はこれよりややこしくなる。
外務省外交史料館に保存されている「伊藤侯爵満州視察一件」というファイルには、安重根は「韓民会」というロシア特務機関の影響下にある組織のメンバーのひとりであったという記録が残る。安の背中をロシアが押したとなれば、これは民族運動といささか違う文脈で見る必要があるのではないか。
ロシアには殺害動機があった。
結ばれるはずだった日露協商を反故にし、日英同盟を結んだ当事者、伊藤博文に恨みがあったからだ。これがきっかけで日露戦争開戦が早まり、準備不足もあってロシアは負けたという説を信じる者もいた。伊藤許すまじ!さらに伊藤は朝鮮半島を懐柔させ、ロシアに対抗しようとしている。「邪魔者は消せ」ということになり、自分たちの影響下にあった朝鮮人を使ったというわけだ。
当時の日本の外務省は、調査を通じ伊藤博文を殺したのはロシア特務機関によるものだったと知っていたかもしれない。だがそのことを公にすれば国民は黙っていない。伊藤侯爵暗殺はロシアのしわざ」となれば、「再びロシア撃つべし」という世論も高まり国内は騒然とするだろう。日露戦争が終わったのが1905年、暗殺事件が1909年。ただでさえ「勝ったにしては割があわない」とポーツマス条約に不満を持つ国民は多かったのだ。それはロシア側も同じ。敗戦直後、帝政ロシアに不満を持つ国民は多い。「日本に復讐を!」とうっぷんを晴らしたがる軍人もいた。だが再び戦火を交えるほどの予算も統率力もない。日本もロシアも戦禍でそれぞれ疲弊していたのだ。そこで「日本に不満を持つ朝鮮人が志士気取りで暗殺した」というシナリオを仕立て、幕引きとしたかったのではないか。とぼくは思う。
▲ ソウルに立つ安重根の銅像
だとすれば、英雄どころかただの鉄砲玉でしかなかった安重根。その数奇な運命は、歴史にもてあそばれているかのようである。捕われ、彼は獄中でこう言い残している。
私は、本当にやむにやまれぬ心から、伊藤さんの命を奪ってしまいました。(略)いつの日にか、韓国に、日本に、そして東洋に本当の平和が来てほしいのです。(略)伊藤公にはまったく私怨はなく、公にも家族にも深くお詫び申し上げたいのです。【出展:斎藤泰彦 著『わが心の安重根』】
旅順刑務所で殺人罪として処刑されるまで、彼は自分が伊藤博文を撃ち殺したと信じていたようだ。またそのことを反省し謝罪をしている。そんな彼を韓国は「反日の象徴」として墓場から引きずり出し、殺害場所の中国、ハルビン駅に銅像まで建てようとしているのだ。また、就航した潜水艦にまで彼の名をつけてみせ、「仮想敵国は日本」と言わんばかりである。しかもセンスが悪い。安の撃つ弾が当たらなかったように、魚雷もまた目標を外すのではないか。
濡れ衣を着せられ殺人者となった安重根。そんな彼を韓国は「英雄」と呼ぶ。韓国政府は先日、銅像を建てることへの不満をもらす菅官房長官に対し、「わが国の独立と東洋の平和のために命をささげた方だ」と猛烈に反発。いったい朝鮮半島の歴史はどこまでファンタジーなんだろうか?これをみて一番驚いているのは、あの世の安重根その人ではないかと思う。
自分が死んで100年以上経った。まだ自分のことを覚えているだけでも驚くのに英雄などと呼ばれている。どういう風の吹き回しか、自分の銅像がハルビン駅に建てられようとしている。あげく、そのことでいっそう仲が悪くなる韓国と日本。
彼の「韓国に、日本に、そして東洋に本当の平和が来て欲しいのです」という遺言は、いまも踏みにじられたままである。
もう、そっとしておいてくれないか。
というのが彼の本音じゃないだろうか?
ぼくもそのことには賛成だ。
【参考文献:若狭和朋 著:続・日本人が知ってはならない歴史】
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