行き先を告げると周囲の反応はたいてい「なんでまたそんなところに?」という冷めたもの。めんどくさそうだし、だいいちどこにあんだよそんな国と言われる。ごもっともである。知ってる言語が使えないし、情報だって少ない。だからこそ(とぼくは思う)、行く価値がある。
ひとり旅、はそれ自体がめんどくさいものだ。ぜんぶ自分ひとりで決め、手配し、実行する。現地ではひとりでさみしい思いをするし、シェアできないぶん費用も高くつく。移動もひとり、ご飯もひとりである。ぼくなんて超がつくくらい寂しがり屋である。いったいなにが楽しくて、そんなひとり旅なんてするのか? ときどき自分でもよくわからなくなる。
社会人たるもの、決められたことを決められたようにやるのが正しい。だが息苦しくもある。人はそんなに確かな存在ではないし、情況は想定どおりにいかないからだ。そのようなジレンマの中で、誰にも束縛されず、なにも決めず、ひとりでふらりと旅に出る。これはもう究極の贅沢ではないかとぼくは思う。人は旅を選び、旅は人を選ぶ。
もちろん「ふらり」とはいかない。
まず行き先の入った往復チケットだけを買う。社会人のたしなみとして休暇届けを出し、自分の不在により他人に迷惑を被らないようにする。行く日ともどる日を決め、どこへ行きどこからもどるかを決める。それ以外はいきあたりばったりである。まず宿は予約しない。ガイドブックは持ち込まない。効率は悪いが、失敗や小さな痛みこそ旅の醍醐味である。ネットは便利だけれど自己決定能力をそぎ、勘どころを奪いもする。頼りは自分の五感、旅はだれかの追体験ではないからだ。そもそも自由は湧き水のようにあふれていたりしない。不自由こそが自由の源泉である。
今回ウクライナに決めたのは、そこにチェルノブイリがあるからだった。東日本大震災以来、原発の是非やら放射線の健康被害やらがかまびすしいが、ぼくもそれには少なからず関心がある。自分の出生と無関係でないからだ。ぼくは原発推進派でも再稼働反対の立場でもないが、別の意思によって行われる風評被害にだけは強い懸念を持つ。そのことは2年前からここに書いてきた。
チェルノブイリを別にすれば、他の訪問地は現地で決めた。どうせ行くならという気持ちもあるが、そもそもウクライナの印象をチェルノブイリ原発事故だけに閉じるのもウクライナの人たちに失礼である。というわけで安ホテルのベッドの上に地図を広げながら、リヴィウ、それからオデッサに行くことに決めた。結果的にこの選択は正解だったが、もう少しがんばってクリミア半島まで足を伸ばせればパーフェクトであった。
▲ 第二次大戦中、ウクライナ全土はドイツ軍に占領された。この戦闘で500万人がなくなったという。これは大祖国戦争戦勝記念の巨大な像(キエフ)
▲ その足元に軍事博物館。T-55戦車がズラリと並ぶ。(キエフ)
ウクライナについて
気温&天候
▲ ホテルから撮った市内のパノラマ。青空が美しい。(キエフ)
▲ 週末の夜は花火が上がった(キエフ)
訪問したのが夏ということもあって、日中の気温は30度近くあるうえ日差しが強くサングラスが欲しいほどだったが、湿度が低く、夕方から夜にかけては18度まで下がり風がそよそよと心地良かった。典型的なステップ気候である。9日ほどいたけれど雨は夕立が一度あっただけ。写真はどれも青空が写っている。安宿のせいもあり泊まった部屋はどれもクーラーはなし、でも特に寝苦しさは感じなかった。部屋のドアを開けっ放しにして寝ている客もいたようだけど。
食べ物
まずパンの美味しさったらない。さすがはヨーロッパの穀倉地帯ウクライナである。やはり「ヨーロッパのパンかご」なのだ。黒パンなどは噛むほどに味わいがあり、カーシャと呼ばれるオーツ麦のおかゆなどは香ばしくて病みつきになるほどである。バターを包んであげたキエフ風チキンカツも深みがあって美味いし、真っ赤なボルシチは毎日飲んで飽きない。旅行中は寂しいひとりご飯だったが、料理が美味いとそれだけで寂しさが薄まる気がする。だから滞在中、食事は3食抜かずしっかり食べた。値段はおおむね安い。観光客向けのレストランは東京並か、それ以上だったけど。ビールは美味しく欠かさず飲んだ。日本ではほとんど飲まないのに。
▲ ボルシチは赤キャベツのスープ。ロシア料理と紹介されているけれど、発祥はウクライナである(リヴィウ)
▲ ウクライナ人は大の寿司好き。これは宅配寿司屋のクルマ(オデッサ)
思ったほど人懐っこくはないところは、ウクライナ人もロシア人と変わらない。だけど、いったん話しだすととことん話せる気がする。ぼくがウクライナ語もロシア語も話せないことが問題なのだ。せめてロシア語は理解するようにしなくちゃと痛感する。チェルノブイリツアーのガイドを務めてくれたマークとは、ほんとうによく話した。親しくなってもべたつかずサラッとした関係を保てる気がする。これは主観だが、ウクライナ人はハンサムが多く、美人が多い。理由はその体型、白人にしては肥満度がぐっと低いのと顔立ちがやさしいのだ。オデッサのタクシーの運転手、ウラジミールはぼくが日本人だと知ると、父親が海軍の下士官でシコタ(色丹)島に長く駐在していたことを話し、だがあれは日本の島だ ロシアは返さなければならないと思う。と言ってくれた。
▲ チェルノブイリツアーでガイドするマーク(チェルノブイリ)
▲ タクシーとその運転手、ウラジミール氏。フェロモン過多気味のちょいワルオヤジである。この車種は他でみたことがない。どこのメーカーだろう?(オデッサ)
▲ 言い寄る男に平手打ちしたあと、このポーズ(キエフ)
▲ 花売りの少女。買ってそのままこの少女にプレゼントしたくなりました(リヴィウ)
IT事情
スマホよりはケータイ、データ通信よりも通話。というのがウクライナのモバイル事情である。歩きスマホなんて、空港以外、まず見られない。電話は通話するものなのだ。マナーモードを使う人もいない。ノキアの着信音があちこちで鳴る。地下鉄の中からトイレから、まだ着陸していない機内からも。意外とタブレットは使われているようだ。iPhoneはまだ4が主流である。それでも高いからだろうか、皆が持っているのはサムスンやHTC製である。残念ながら日本製はほとんど見られない。Wi-fiスポットはとても充実している。速度は今ひとつだけど、たいてい無料。ホテルや空港はもちろん、格安宿や大衆食堂にも無料Wi-fiが設置されていた。
▲ ウクライナの郵便ポスト。国旗と同じイエローとブルーでした(キエフ)
▲ ウクライナの公衆電話。カード型とコイン形とがある(キエフ)
物価と生活費
▲ カフェのテーブルひとつひとつにバラの一輪挿し。花を飾る習慣に深い文化を感じさせます(キエフ)
▲ どの都市にもかならずある公園の中の噴水。至るところにベンチがあって「まあまあそんなに急がずここで一息いれなさい」といっているかのようです(キエフ)
▲ アンティークを売る屋台。右上のドイツ軍のヘルメットに開いた穴は、かぶっていた兵士はこの世にいないことを物語る(キエフ)
ウクライナのひとりあたりGNPは7300ドル。日本の5分の1以下である。ゆえに物価も安い。地下鉄は1回24円。屋台のサンドイッチは240円。ミルク1リットル60円。だけどガソリン代はハイオク1リットル140円。物価の割に高い。今回タクシーにはずいぶんボラレたが、ガソリン代がこれだけ高いんじゃ、あまり責められない。地下鉄の広告で不動産のプロモーションを見かけた。キエフ郊外の新築マンション1㎡あたり7万円、100㎡の3LDKで700万円ほど。ほかの物価水準から推定して、庶民でもアフォーダブルかと思う。
▲ 古い写真をバックにパフォーマンスをするひと(キエフ)
▲ 市内を走る登山列車。運賃18円なり。(キエフ)
▲ 預け荷物の中身が抜かれないようラッピングサービスがどの空港にもありました。480円(オデッサ空港)
ウクライナではついに一人の日本人にも会わなかった。ていうか、東洋人そのものがめずらしい。調べてみるとウクライナに住む日本人の数は200人ちょっと。逆に日本に住むウクライナ人は1200人以上。スゴイ差だ!と思っていたら、在日ウクライナ人のほとんどは女の子であった。そうだったのか・・。
ともあれウクライナ、
とってもいいところでした。
機会あればまた行きたい。
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