海外で生活に困窮した日本人に、政府が帰国費用を貸す法律がある。
いわゆる「国援法」というやつだ。適用される例はさまざまある。本人が帰りたいと希望する場合と、在留国に出て行けと退去強制処分される場合とがある。観光で訪れそこで金品を奪われる被害にあうケースもあれば、若い外国人女性を追いかけて渡航し現地で全財産を使い果たすケースもある。
もうずいぶん昔のこと。フィリピンのセブに駐在中、飲み屋で知り合ったAという日本人男がいた。50を過ぎるいい大人だが当時まだ20代前半のぼくに「金を貸してくれ」としつこく言い寄ってくる。長いながい身の上話で「女の家族に全財産を騙し取られたんや」と被害者さながらにいう。飲みに来る金があったら自分でなんとかしろと思うが、かわいそうなので米ドルで約10万円ほど貸した。困ったときはお互いさまである。この男に限っては逆はないと思いはしたが。お金はもちろん返ってこなかった。
日本人はとかく人目を気にする。
いい意味では他人のことを思いやる精神がある。自分さえよければという考えを軽蔑し、社会全体、というか世間のことを気にする。子供のころから「ひとさまの迷惑にならないように」と言われながら育ち、不良高校生ですら「別にひとに迷惑かけてねえからいいじゃんか」などという。そんな日本人には意外かもしれないが、外国に一歩でてみればそれが標準でないことに気づかされる。とくにフィリピンで暮らし始めたころは、だれもが他人に迷惑をかけっぱなしのように感じられたものだ。だが人は環境に育てられもする。どうみても、ほとんどのフィリピン人は自分が迷惑をかけられてもどうってことないようすであった。かけたほうも、かけられたほうも、ストレスを感じるようには出来ていないふうである。自分で何とかしようとせず、ちょっとしたことですぐに人に頼るし、頼られた方も「別に」といったかんじで応じている。
▲ 雨のセブ島市街 ビーチだけがフィリピンじゃない
Aさんはその後「国援法」が適用され、日本に帰国したと風のうわさに聞いた。たぶんぼくにしたようにあちこちからお金を借り、最後は国にお金を借りて帰国したのだろう。若いフィリピン人女性とその家族に貢いだお金は1千万円以上だと言っていたが、半分作り話でもけっこうな額である。彼は日本人だったが、長くフィリピンに住んでいるうちにメンタリティは現地仕様になりつつあったのかもしれない。その後の彼の消息をだれも知らない。いまも生きてれば80を超えているはずだが。
しばらく日本に住んでみてあらためて思うのは、比較的国外に住む日本人たちのほうが国内に住んでいる日本人よりストレスが少ないというか、のびのび暮らしているようだ。一時帰国したときなど「海外だと言葉や習慣が違うからストレスが多いでしょう?」などと周囲からいわれたものだけど、むしろ逆の認識であった。事業でコケて、経済的にも立場的にも困窮していた時期を含めても、わりと楽しくやっていた。場所が日本だったら追い詰められて、今ごろどうなっていたかわからない。というのも、他人に迷惑をかけやしないかとビクビクする必要が日本よりも少なめなのだ。ツイッターやブログでの失言から炎上し、会見など開いて謝罪している著名人や役人などをみてると、責める側にある自分たちも誤ればああなるのだと自分を責めているような気がしてならない。なにかとコンプライアンスで縛り上げるのもいいだろう。だけどいっぽうで、人間ならではのいい加減さも許すのもまた自然では、と思う。
そろそろ閉塞感がキャパを超えそう。
恒例のひとり旅は、7月最初の週末から。
Message from ちびきち(音がでるからね)
ちびきちだよ。つゆってやつは、いやなもんだよ。なんといってもいつものように公園でフリスビーができないからね。だからきょうのようにはれてると、むしょうにはねまわりたくなるのさ。じゃあ、みんなもはれたひは外で太陽にあたっとくれよ。でないとカビちゃうよ。
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