うたた寝に 恋しき人を 見てしより
夢てふものは 頼みそめてき
小野小町は、よく夢のなかに好きな人があらわれるさまをよく歌に残している。初めてこの歌のことを知ったのが10代なかば。以来「うたた寝」という言葉になにかこう、艶やかな意味あいを持つようになった気がする。そう、逢いたいひとがいれば「うたた寝」で逢えると。もちろん、うまくいったことのほうがずっと少ないのだけど。
小野小町の生きていた900年ごろは、平安時代である。そのころから「うたた寝」という言葉はあったのだ。漢字で書けば「転寝」。ただの「ゴロ寝」である。それじゃなんだか味気ない。と思うぼくはうたた寝の語源はきっと「うたかた」にあるような気がしている。意味するところの、はかなく消えゆく感じが、小野小町の歌が醸しだす心情によく合う。
このごろ眠りが浅い。
おかげでよく夢を見る。だからか、空いた電車の中で、ついうたた寝をしてしまう。次に目が覚めた時の後頭部のあたりにうっすらとしびれを感じながら、しばらくぼんやりとさっき見ていた夢を反芻したりする。なんど見ても、小野小町が「うたた寝」の中でみたような夢のようにはいかないのだけれど。
うたた寝。
いい響きである。
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*どうでもいいことなんだけど、起きているなおきんも、寝ているなおきんも、イラストでは目が同じ。だのにどうして寝ているようにみえるのか、描いているぼくにもちょっとわかりません。
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