iPhoneから顔を上げると、まわりにいる全員がそれぞれスマホの画面をみていた。ということがある。自分もそのうちのひとりだったということに、なんだか罪悪感すらおぼえる一瞬だ。いったい何に対して罪悪感をおぼえてしまうのか、いまひとつよくわからないのだけど。
ケータイやスマホがなかった時代、その時間をなにに使っていただろうか?と思わずにはいられない。本を読んだり、何かを書き留めていたり、誰かに会いに行っていたかもしれない。ただぼ〜っと窓の外を眺めていただけかもしれない。そういえばあんまりぼ〜っとすることがなくなった。罪悪感の正体は、どうやらそのへんにある気がする。
スマホでみんな、なにをしているのだろう?興味はそれほどないけど、満員電車などでは、近すぎて他人が操作している画面が目に入ることがある。意外と多いのがゲームをしている人。ツイッターやフェイスブックでなにかを書き込んでいる人。動画を鑑賞している人。ラインでメッセージをやり取りしている人。ひゅっとあらわれる絵がやたらとデカイ。
iPad miniはもっぱら電子ブックリーダーと化しているが、どうしても紙に比べ集中力がとぎれやすい。目の疲れ方が激しいし、気が散りやすい。一台でいろんなことができるというのは時に罪である。
ネットにつなぎっぱなしというのは便利なようでそうでもない。ダイアルアップ接続で時間を定めてインターネットにつないでいた時代は不便だったが今にして思えばぜいたくだった。用事がないときは繋がなくて済んだから。みながみな、そうだったから「なんでつながんないんだ」と咎められることもない。電子メールを始めたばかりのころは、新着メールが楽しみでワクワクしたものだが、いまじゃ「受信トレイ0」に憧れる多くの人たちのひとりである。
まったくネットがない生活は今じゃ考えられない。というか、ネットがあるからじっくり考えられなくなった。そんな人たちも多いかもしれない。次々にSNSに投稿し、ツイートする。そこには直接会うよりずっと存在感のある人もいる。
スマホの時代の時代
など考えながら、
完全オフラインの時間をこっそり作る。
なにをしているかというと、それはヒミツだ。
ただ、ぼ〜っとしているだけかもしれないが。
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