男は40過ぎたら自分の顔に責任をもて
などといわれる。若いうちは「まあそんなもんかな」と思っていたけれど、40を過ぎた今では、とてもじゃないけど顔に責任なんか持てないと思う。むしろ、あんまりじゃないかと。もともとこれを言いだしたのはリンカーンだが、「顔で官僚を選別しないでくれ」という側近に「男は40過ぎたら・・・」と答えただけのこと。ただの屁理屈じゃないかという気がしないでもない。
整形などでも変えられる顔に責任の所在を問うより、顔なんて他人から識別されるためにすぎないと割り切り、それより態度や言動、ひいては表情や雰囲気、空気・・そう、「匂い」に責任を取ってもらうってのはどうだろう?
匂いというのは実に深く、広く、そしてパーソナルなものだ。嗅覚だけじゃなく、視覚や聴覚で感じる匂いだってある。「会ってみなけりゃわからない」と言う人がいるのは、匂いがわからないと勘が働かないからだ。太古より匂いは敵か味方かを判断するのための重要なファクターである。
「その男が大人か子供か、匂いでわかります」
とは、とあるベルギー人の女社長のことばである。20年近く前、「日本人はベイビーフェイス(童顔)だから年齢がよくわからないでしょう?」というぼくの問いに答えたのだ。続けて彼女は言う。
「たくさんの人の中にいても、あるいはたったひとりでも、自分がどうふるまうかを知っている。自分が周りからどんなふうに見えているかちゃんとわかってる。それが大人よ。子供はわからないわね。自分のことばっかり。自分に夢中で、放つ匂いも気にしないから」
▲ ブリュッセルの町並み
ぼくたちはブリュッセルの中心、グラン・パレスそばにある小路に面したカフェにつき、遅い昼食をとっていた。彼女の他に2人の男(担当者とその上司)も同じテーブルにいた。おおかたのベルギー人がそうであるように、彼らもまた静かな人たちだ。なんども会ったはずのわりに彼らの記憶はぼんやりしたものだが、一度会っただけの女社長の印象はいまも残る。「無責任な男は子供ね」彼女は社員をたしなめてもいたのかもしれない。
思うのだけれど、自分の匂いというのは本人よりも他人に気づかれれやすいものだ。不快にさせることもあるだろう。たとえ顔の醜さで相手に不快な思いをさせたとしても、本人を責めるのは筋違いという気がする。だけど匂いで不快にさせたなら話は別である。よっぽど生まれつき臭い人はともかく、たいていの匂いは管理できるのだから。
人間40過ぎればいやでも匂いがきつくなる。ストレスや老廃物はますます溜まりやすく、ますます外へ出にくい。新陳代謝が落ち、運動不足になる。身の回りにかける時間だって減る。現状にあぐらをかき、他人の目を気にしなくなる。そのようにしてほうっておくから、匂いはますますきつくなる。
だけど、良い習慣を身につければある程度防げるし、もっと気を使えば、周囲をハッピーにさせるような匂いだって可能かもしれない。これこそ自己管理能力が問われるところである。とくにおじさんは。そこで格言。
男は40過ぎたら自分の匂いに責任をもて
by なおきん
ということで女性のかたへ、
おじさんは顔じゃない、匂いです。
こんにちは、なおきんです。
きょうもイラ写にアクセスしてくれてありがとさまです。堅い記事の合間には、こんなふうにちょっとソフトな記事を挟みます。読んでて疲れちゃうし、こちらはこちらでタフなメールと格闘しなくちゃならないし。さて、匂いといえば、ぼくは海外にひとり旅行に出かけると、ホテルの部屋にチェックインすると、まずシャワーを浴びます。備え付けの石鹸で身体を洗い、備え付けのタオルで拭います。すると自分の身体の匂いが変わります。その国の、その街の匂いへと。旅のコツは自分を景色になじませること。距離がグッと近づきます。
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