イラ写を開設し来月で丸8年になる。
まだフェイスブックもツイッターもなかった時代。ミクシィはあったがまだブレイクしていなかった。個人の情報発信はホームページかブログ、せいぜいメルマガ。たった数年なのに、こちらの世界はすでに隔世の感がある。
当時の記事は恥ずかしくてとても読み返す気になれないし、イラストも見る気がしないのだけど、ブログのデザインやタイトルの看板は8年前のままである。プロフィールも数年前に一度変更しただけだ。デザインを大幅に変えようと試みたことはあったが、やめた。テンプレートなんていくらでも変えられるから、あえて変えなかった。これもひとつのブランド戦略である。もしブランドがあれば、の話だが。
人生がそうであるように、ブログも始めることより続けることのほうがしんどい。しかも人生と違い、カンタンに止めれるだけに、続けるには高い動機が必要だ。ぼくも何度止めようとしたかしれない。じっさいに数週間止めたこともある。
なぜしんどいか?
3つある。
- 書くこと(内容・目的)がない
- 書く時間(体力)がない
- 読み手がいないか、批判ばかり
ブログをやめた人たちに理由を聞けば、だいたいこの3つのどれかかすべてに集約される。ぼくのしんどさは圧倒的に2.。次に1. が理由だ。だから、続けられたのだと思う。3. が理由だったらとうにやめてただろうなと思う。人知れず、そっと。
イラ写はエッセイなんですか?
当初も訊かれたし、いまも訊かれる。自分ではわからない。なんの自覚もない。「お店のようなもんです」と言い「小さなカウンターバーのような」を付け加えて、不思議そうな顔をされる。「もしかして天然?」と言われるが、たぶんそれはそれで当たっているのだろう。
そもそもエッセイというのが自分でわからない。
そこでエッセイについて書かれた本をみつけ、窓の外の雪を眺めながら2時間ぶん読んだ。もう20年エッセイを書き続けている岸本葉子さんの著書である。著者はこの本でエッセイをこう定義している。
A. 自分の書きたいことを
B. 他者が読みたくなるように書いたもの
なるほど。それならわかる。
ぼくもイラ写でそんなふうに書けたらうれしい。ただやっぱりイラ写はぼくにとってはお店だから「また来たい」と思う人のために、続けたいと思う。1年以上計測してきたGoogle Analyticsの分析によれば、200回以上イラ写に来た人は、1回しか来ていない人の2倍もいるということがわかっている。
そのことが、すごくうれしい。
ありがとうございます。
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