遠くない昔はあまり聞かれなかった「なんとか女子」が言われ始めたのっていつからだろう?
ぼくのなかでは「女子(じょし)」のイメージが、いまだに小学生あたりで止まっている。中学校に進学する頃には互いに女子、男子と呼び合わなくなった。男子校だったからでもあるが。
会社ではつい「女性社員」といってしまうのだけれど、「それってなんか違和感」などと返される。だってもはや女子じゃ・・といいかけ、あわてて飲み込む。OLという呼び方もビミョーなのだという。日本で生活するのはなかなかたいへんである。
会社ではある部署を任されているのだけれど、この部署は女性・・いや女子社員が多い。男子社員のざっと2倍はいる。ぼくは女性は好きだが女子社員は苦手なので、なにかとやり辛い。どうも調子が出ない。なにしろ決まりごとというかルールもいっぱいある。ある日ひとりの女子社員に「髪型変わったんだね」というと、へんな顔をされた。挨拶のつもりが、あとで「髪型や服装のことは口にしてはダメ」とたしなめられる。気をつけないと、おちおち挨拶もできない。きっとイタリア人男だったら呼吸困難で死んじゃいそうである。イタリア男じゃなくてつくづくよかったと思う。そういう問題でもないのだろうけど。
打ち合わせをすれば会議室にぼく以外全員女性、ということもある。終われば、どっと疲れもする。そんな自分が情けない。それだけに年配の男性がひとりでも会議に参加していれば、いささかホッとさせられる。たとえイヤミなオジサンであってもだ。オジサンだって人知れずいろいろあったのだ。輝いていた時期もあっただろう。いまじゃ脂でオデコが輝く。もどかしさがイヤミになる。承認欲求がアダとなる。たとえ会議室がハゲ散らからされ加齢臭に視界がかすんでも、まだそんなオジサンたちが好きだ・・いや、好きじゃないけどオジサンなんか。
今夜もサラリーマンが新橋に集まって飲んでいる。
そういう場所がどうも苦手で、以前ならあまり近づかったのだけど、いつしか抵抗がなくなった。そこにはきっと女子社員と合わずシュンとしているオジサンもいるはずだ。わかるよオジサン。そんなこともあるよね。
こうして新橋の、ぼくもまたよくある光景の欠片(かけら)のひとつ。杯の注ぎ間に月をみあげ、遠い世界を想う地場の欠片となってゆく。
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