「あなた、いくら貰ってますか?」
香港で働いていたころ、いろんな人から収入の額について問われた。スタッフから訊かれたこともある。日本ではあまりそんな話は聞かない。「華人はなんだか生臭いなあ」と思ったものだ。
その代わり、日本では雑誌やネットで「業界別年収」とか「ひと月のお小遣い」など、他人の数字がよく紹介される。誰がこんなもの興味をもつんだろう?と思うのだけど、これが特集されるとその号は売れるんだそうだ。他ではあまり見られない日本だけの特徴である。
じぶんはじぶん、ひとはひと。
と割り切るのは、たしかにむつかしい。人間は自分を取り巻く社会との位置関係を気にするものだ。満足していたはずの生活も、隣人がもっといい生活をしていたと知って不満になる。不公平だ!などと言う人もいる。
ようするに日本人だって直接聞かないだけで、他人の財布が気になるものなのだ。先日、外でラーメンを食べていると、隣の席でサラリーマンふうの男性3人が「お小遣い」のことで盛り上がっていた。「サラリーマンの平均小遣いが3千円も上がったらしいよ」とひとりが言えば、もうひとりが「まじかよー、オレなんか減っちゃったよ、景気いいよなあ」などと言っている。
給料が減った、というのならわかる。「小遣いが減らされた」というのはどういうことなのか、誰によって減らされたのか、とシナチクをポリポリかじりながらしばし自問。まさか母親ではないだろう。ということは奥さん?
考えてみれば「お小遣い」ってそもそもなんだろう?
そもそもぼくは「お小遣い」の定義すら知らないことに気づいた。「月に一度、親が子に与えるお金」といったあたりで止まっている。それじゃ中学生だ。じゃあ大人になれば「自由に使えるお金」となるのか。自動的に。ではどこまでの範囲を言うのか?昼飯代も? ひとりで暮らしている人にとって食費はどっちか? 本代は投資か?消費か?小遣いか?ガソリン代はどこからどこまでが小遣いか? ・・・ などといつまでも考えてしまい、ついには眠くなる。
ぼくにはお小遣いの定義がいまでもよくわからない。いま飲んでいるウイスキーハイボールは食費かお小遣いか、などと考え、3杯目以降は「お小遣い」ということにした。しただけでしかし記録には残らない。だからひと月ぶんの生活費はわかっても、このうち自分のお小遣いがいくらなのかわからないままでいる。
だけど人から額を訊かれれば「3万9千円です」と答えようと思う。これは新生銀行が調べた2012年のサラリーマンの平均額。気乗りのしない質問には、無色透明な回答がいい。ちなみにこの額、30年前の水準と同じらしい。30年前ぼくは19歳。あのころは貧乏で、キャベツばかり食べていた。
それにしても「お小遣い」って聞くと、たいてい女性から男性に渡すイメージばかりで逆がないんだけど、それってぼくだけかな?
■ コスプレちびきち
いちおうロックっぽく装ってもらったのだけど、これじゃただの「山ねずみロッキーチャック」だね。とほほ。なぜにサンバイザー?
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