見た目で人を判断するな
と教えられてきた。でも誰に教わったかはもう忘れてしまった。学校の担任のような気もするし、オトンだったような気もする。でもその度に「そっちこそ」と心のなかでつぶやいてた。見た目で人を判断するなという人こそ、人を見た目で判断しているんじゃないかと。
たしかに見た目だけで判断を誤ることは往々にしてある。たぶんこれを読んでいるあなたにだってあるに違いない。あんがい第一印象はあてが外れるもんである。視覚はだまされやすいものだし、第一印象だけで能力を発揮できる人間もそうそういない。
でも人はどこか他人を決めつけたがる心理を持つ。同時に他人に決めつけられたい心理もある。世にあまたある占いがすたれない理由を、そんなところにみてしまう。
では野菜はどうか?
見た目で判断されまくっていないだろうか。
例えばスーパーで売られているきゅうり。どれもまっすぐだ。長さも揃っている。ぼくは子供のころ、近所のきゅうり畑で盗み食いしていたが、きゅうりなんてたいていぐにゃりと曲がっていた。スーパーでみられるようなまっすぐなきゅうりは、それなりに選りすぐっているのだろう。
農産物には「規格」がある。
そして曲がったきゅうりが市場に出回らないよう、規制されているのだ。曲がりが2cm以内ならA級品、4cm以内ならB級品といった具合に。トマトや玉ねぎなどは大きさや形が「規格」で決められている。このとき味や栄養はまったく関係がない。あくまでも「見た目」である。
規格を決めたのは昔の農林省、いまの農林水産省。農協はこれをガイドラインに「規格内」ならば買いあげ、流通させる。そうでないものは「いらない」となる。ならば農家は処分するしかない。ようするに捨ててしまうのだ。実にもったいない話である。
そこで気になるのは「規格外」の野菜たち。作った野菜のいったい何割が「規格内」に収まるのか。規格外だと売り物にならないのなら、規格がなくなれば野菜はもっと安くなるはずではないか。
味や栄養についてはどうか?
近年、野菜の栄養素が20年前の半分程度まで減っているという。理由は夏野菜が冬に出回ったりと、旬でない野菜が市場に溢れていることと、保存期間が長くなったために栄養価が下がっていることなどがあると思う。ふつう野菜は、採れたてから日を追うごとに栄養価は下がっていくものだ。
農協が買い上げなかった野菜は、「規格外野菜」とか「わけあり野菜」などと称して売られていたりする。でも事情を知らない消費者からすれば「安かろう悪かろう」の負のイメージを持つかもしれない。持たなかったとしても、なかなかお目にかかれない。ネットでも手に入るようだが、少量ロットで個別発送のためか、どうしても値段が高めである。
気になる点は「見た目」を整えるあまり、農薬を増やすなどそれ以外のものが犠牲になっている現実だ。人間だって「見た目」のためにへんな薬を顔に打ったり、カラダのあちこちに変なモノを注入して、あとで後悔する人たちがいたりする。
いっそこんな規格、ぜんぶとっぱらったほうがいいのでは?と、地下食料品売り場に行くたびに思う。見た目より、無意味な廃棄食品をなくすほうへ規制を変えるほうが、いまの日本人には支持されるような気がする。それに食料品はこれから10年の間に高騰する。いまはまだ円高だから目立たないけど、徐々に円安に振れれば価格高騰は加速するのだ。「食べ物を捨てるな」という規制は「見た目規制」よりはるかに意味がある。
見た目に騙されてはいけないし、
見た目で騙そうとしてもいけないのだ。
野菜も、それから人間も。
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