350mlの缶ビールが、ドイツのスーパーで50円しないことに喜んでいたら、隣のオランダではもっと安く買えると知り、土曜日の午前中は決まってオランダとの国境まで買い出ししていた。こないだサッカーの大津選手が移籍したことで有名なVVVフェンロの本拠地、Venloがその国境の町である。タバコもコーヒーもミルクも野菜も、すべて安かった。車で往復1時間以上かかったが、まとめて買えば十分に元がとれた。1990年代のことである。
当時のぼくは20代から30代、日本に帰国するなんて思ってもみなかった。ヨーロッパの各地に移り住み、やがてそのどこかで死んでいくのだろうと考えていた。親にも、そう話していた。「産んでなかったコトにするよ」オカンは冗談ぽく笑い、たぶん心で泣いていた。
日本では「第三のビール」と称した発泡酒が売れている。理由は美味いからじゃない、安いからだ。メーカーの必死の努力でビールの味に近づきはしたが、やっぱりビールではない。みんながみんな田村正和のようには間違えない。そりゃそうだ。ビールの美味さは麦芽で決まる。ビールの麦芽比率は67%、発泡酒はたったの25%。ビールの半分以下である。
発泡酒は麦芽の量がビールの半分以下で、値段もビールの約半額。となれば、それだけ麦芽の原材料費が高いのだろう。と思いがちだが、知ってのとおり、ただの税率の差である。
▲ 発泡酒とビールの違いとその税金額
こうなるともう、なにがなんでも麦芽比率25%以下にしないと、高くて買ってもらえない商品になってしまう。庶民の家計は苦しいのだ。こうして麦芽なら簡単に出せるあの味を、別の何かで代用しなくちゃならないメーカーもたいへんである。しかもドイツやオランダのメーカーはもちろん、日本以外の国ではまったく必要のない努力である。
そもそもなんでビールの税率があんなに高いのか? そっちのようがよっぽど問題である。酒税は本来、アルコール度数で決まる。度数が高ければ税率が高いし、低ければ安いというあたりまえの理屈。だのにビールは度数にかかわらず、1リットルあたり222円。果実酒(ワインなど)は70円と決められている。他のアルコール飲料に比べ、ビールの高さが際立っているのだ。
酒の飲めない人のことを「下戸」という。
由来はずっと昔の律令時代。高納税家庭を「上戸(じょうこ)」、低納税家庭を「下戸(げこ)」と呼んだことにある。酒税はそのころから課せられており、たくさん飲む人は高納税者である上戸、飲まない人は低納税者だから下戸というわけだ。
ビールが日本に入ってきたのは明治時代。当時はもちろん、贅沢品である。とくに「冷やさなくちゃ美味くない」というところがポイントだ。そのころはもちろん冷蔵庫なんてなかったから、飲む前に氷などを大量に使いながら冷やさねばならない。贅沢品なうえ、維持費もバカにならないのだ。ビールが金持ちしか気軽に飲めなかったゆえんである。
戦後、庶民レベルで冷蔵庫が普及してきはじめると「冷えたビール」の維持費はほとんど考えなくて良くなった。こうしてビールは庶民の飲み物となり、贅沢品でもなんでもなくなったのだ。消費量もどんどん増えた。
贅沢品でないのなら、税率もあわせて低くすべきだろう。そう考えるのがまっとうな政府役人と期待したいが、この国はそうではない。せっかくドル箱収入となったビール税収をみすみす失いたくないと考える。1984年の参院大蔵委員会では「我が国は消費税がないから酒税に頼るほかない」と答弁してみせた。1989年に消費税が導入されたがビール税は据え置き。今後消費税が上がろうとも、このままシラを切るつもりだろう。
それが役人というものだが、結果、ビール大びん(633ml)の値段は340円。このうち酒税は140円、加えて消費税16円にもなる。実に値段の半分近くは税金になってしまうが、これはアメリカの12倍、ドイツのなんと22倍である。その意味で、日本のビールは宝石並みの贅沢品のまま。それだけ税のとりやすい酒なのだ。
テレビをつければビールのCMばかり。
さすがに発泡酒のCMも増えたが、戦後一貫して繰り返されるビールCMが奏功したのか、居酒屋では「とりあえずビール」の大合唱。別に役所の陰謀ではないだろうけど、ささやかな抵抗もあって、帰国後ぼくは日本ではほとんどビールを飲まない。
というのはもちろん、ただの屁理屈であるが。
最近飲んだビールの中でもっとも美味しかったのはバクーのドイツ料理店で飲んだ「バクースペシャル」。滞在中、毎晩飲んでました。チェコ産のホップが効き、麦の香が鼻孔をつきぬけ、喉が踊ります。
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