だれかを好きになってしまう。
でもその理由をうまく説明できない。
なんてことはよくある。むしろ理由がバッチリあるほうが少ないのではないか。なんてことを満員電車の中でふと思う。目の前に座るおじさんの、ハゲに映る蛍光灯の灯りを見つめながら。
理由のないものをほおっておけないのが人間だから、なぜこの人のことが好きになったのか、あとから意味付けをしようとする。「子どもにかける声が優しかったから」「着こなしがいいから」「横顔の頭の形がいいから」「頭がいいから」・・などなど。おそらくはそう思わせる別の決定要因があったはずなのだ。意識されないまでもたくさんの小さな要因が隠れていたり、単に相手が自分に好意を持っているから、だったり。
逆に、いったん嫌いになったら、アラを探してまでさらに嫌いになろうとするのも人間なのかもしれない。好きな理由を探すよりこっちのほうが盛り上がる人もいる。メディアにしたってポジティブなものよりネガティブのモノのほうが食いつきがいい。ちょうど、いまの日本と韓国がまさにこんな関係なのかもしれない。
そもそも好きとか嫌いとか、どちらも相手に関心があるから発生するエネルギーだ。関心がなければ、好きでもなければキライでもない、どうでもいい。てなことになる。こういうのは個人差があるからなんともいえないけど、およそ付き合いのある人間関係のうち、好きな人2割、嫌いな人1割、どうでもいい人7割、というのが標準パターンじゃないかと思う。本当はとても仲良くなれる相手どおしでケンカしてしまうのが人間であり、その集合体としての国なのかもしれない。
少し話が飛躍するけど、ぼくは好きな匂いに出会うと、なぜか誰かを好きになったような感触が残る。好きな人を思い浮かべたとき、鼻孔にツンと来ることがあるが、なにか嗅覚と関係があるのかもしれない。「名前すら忘れた相手でも香りの記憶は残るものだ」とロマン過剰な友人がのたまっていたりしたが、あながち外れてはいない。
いつしか札入れに一枚のパピエ・ダルメニイを入れるようになった。
ヨーロッパではわりとポピュラーな香紙で、燃やすとお香になる。フランスではそうやって空気の浄化やにおい消しに使われるが、ぼくは燃やす前の匂いのほうが好きで、一枚ちぎってはそのまま財布に入れている。匂いがお札にうつり、上品ないい香りの紙幣になるのだ。渡されたお札からいい匂いがすると、ちょっといいかなと思う。
▲ パピエ・ダルメニイ 世界で最も古い、空気を浄化する紙のお香
匂いはうつる。
好意もまた、うつるのだ。
だれかを好きになりやすい人は、
好かれやすい人でもある。
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