かつて
ものすごくヒマだったことがある。
32歳のときだ。仕事を辞め、さりとてとくにすることがない。バカンス先のチュニジアから戻ったばかりで、日焼けした顔で、さあこれからバリバリ仕事するぞと張り切っていたばかりのタイミング。上司と折り合いがつかず、机をけとばしその日のうちに仕事を辞めた。
1週間が経つのは速かった。
仕事をしていれば、いや休暇中であっても、1週間はもっと長く感じる。何もすることがない、というのは時間をもてあまし、経つのが遅いと思っていた。だがあっというまに次の一週間がやってきて、一瞬で通り過ぎていった。
ほんとうに何もしなかった。
飲みにも行かず、ろくに食べもしない。何ページか本は読んだかもしれない。人とも会わなかった。公園に行き、ベンチに座って囓っていたパンを池の白鳥になげたりした。前の職場の後輩が自宅にあそびに来たが、会社の話はとても苦痛だった。当時は妻と暮らしていたが、あまり会話もなかった。ただ、なにもしなかった。ただのひとつもしなかった。これほどなにもしなかった日々は、ちょっとないくらいに。
愛用していたパソコンのデータをぜんぶ消した。からっぽ。自分と同じだと思った。しばらく空虚な暗いスクリーンをじっと見つめた。だが見つめていたのはスクリーンに映った自分だったかもしれない。
2週間が過ぎ、なにもしなかった。
3週間が過ぎ、やはりなにもしなかった。ものすごくヒマだった。からっぽだった。時間を埋めるすべてがない気がした。退屈すらしなかった。何かをすることも、する気もなく、ただヒマだった。
「失業保険でももらったら?」
そんな声も聞こえてきたが、ひとんちの国でそんなモノもらえるかと思った。税金も保険料もうんざりするくらい払い続けてきたけれど、いざ貰うとなるとためらいがでた。
1ヶ月経っても、あいかわらずヒマだった。あいかわらず時間がたつのが早かった。自分以外の、何もかもが早かった。そのころから少しずつ、ヒマというのは、何かを待っているからヒマなのだと思い始めた。待てど暮らせど、やってこない何か。自分自身をヒマにさせている何か。時間が経つのが早く感じるのは焦っているからだ。いったい何を焦っているのか? 何を待ち、何を焦るのか。どっちもわからなかった。からっぽだ。だが何で埋め合わせていいのか、まったくわからない。
2ヶ月目に入り、さらに数週間経ったとき、突然何かに目覚めたように自分で会社を作った。会社登記をし、会計士を雇った。自分自身の携帯電話を契約した。それから単身でロンドンにわたり、ハマースミスのオフィスで朝から晩まで夢中で休みなく働いた。世界を変えるつもりで働いたが、変わったのは自分のほうだったかもしれない。
それが1995年のことだった。
世界中でインターネットが流行りだしたころだ。
あれから17年経つが
インターネット以後は、
もう誰もヒマにさせてくれない。
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オリンピック、ほとんど見れてません。
で、これだけ見てます。
メダルカウント
「おまえには愛がない!」
とか言われそうですけど。ついでに
先月訪れた国々のメダル数も気になります。
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