トビリシからの夜行列車でアルメニアの首都、エレバンに到着したのは朝の7時半。夜行で越境したのは久しぶり。乗車券込みで4000円と、意外に安かったので一等寝台車にした。少しでも眠っておきたかったし。
▲ 二人部屋のはずだったが、誰もこず、結局一人で占有させてもらった。カーテンは高級感のシンボルなのかもしれないが、いささか年季がはいりすぎていた。
ようやくうとうとしはじめたタイミングで叩き起こされ、着替える間もなく、ステテコのまま列車から降ろされる。アルメニアの国境だった。水銀灯で不気味に照らされるホーム。兵士が犬を連れ、密入国者がいないかどうか車両をチェックしていた。ぼくたち外国人はまとめて入国管理局の事務所に連れていかれた。思っていたより物々しい。弱ったな、と思う。「ビザは事前に取得しておくように」と日本の代理店の人に忠告されていたが、まあ以前通り 国境で取れるだろうと、たかをくくっていたのだ。こうして、いたずらをして廊下に立たされているような外国人の一群に加わった。
ステテコ姿で立たされること30分。
たっぷり待たされながらも、ビザはあっさり取れた。待ちぼうけを食らった列車はぼくら不良外人(?)を積むと、再び岩だらけの荒野へと走り出すのだった。
▲ 車窓からアララト山が見えた。標高5137メートル。旧約聖書の中でノアの方舟がたどり着いた場所とされ、アルメニア人の精神的支柱である。日本人でいう富士山みたいなものなのに、いまはトルコ領である。アルメニア人虐殺事件の関係もあり、トルコとは仲がわるい。
▲ エレバン近くには原子力発電所もある。アルメニアは日本と同じ地震国。1988年の大地震の時には放射能漏れが心配された。だが原発をやめようにもやめられない事情がこの国にはある。
▲ エレバンに到着。ホームでは互いに再開を喜び合う人たち。もちろんぼくに声をかけてくれるのはタクシーの運転手だけである
▲ エレバン駅、ソビエト連邦時代そのままである。いまもアルメニアはロシアとは友好的に付き合っている
▲ チェックインしたホテルの部屋。ホテル名は”HOUSE”というだけに、かつて住んでいたドイツのアパートの部屋そっくりである。
▲ 「まあ、せっかくだから食べて行きなさい」と言われ、お言葉に甘える。バクーもそうだったけど、一泊で朝食が2食いただく厚かましい客です。
▲ ここのカフェにはすっかりお世話になりました。パリのカフェっぽいおしゃれな店で、Wi-Fiも使えるのに、ビールが一杯120円です。
▲ ただのホームレスなのに、なんかこう仙人のような佇まいがあります。
▲ 仕事中なんだけど、割に深刻な話をしていました。もしかしたら恋仲なのかもしれません。
▲ 水だけ注文して彼氏を待つ女の子。一時間後来てみたら、彼氏と一緒に仲良く朝食を食べてました。よかったですね。
▲ 通りに水をまいていたところ、この女性にかけてしまい抗議された男。慌ててホースを反対方向に離したら、今度は別の人にひっかけてました。残念です。
▲ エレバンからタクシーをチャーターし、郊外のゲガルト修道院へ。4世紀に初期キリスト教を開校していたのだとか。すごいですね。いまもありがたい教えが受けられるようです。
▲ 四角い板は棺桶です。うっかり踏みそうになり、大きな声で注意されました。
▲ アルメニアに唯一残るヘレニズム文化の建物、ガルニ神殿。
そこでなんと・・・
▲ 結婚式が挙げられてました。花嫁さん、とっても美人です。手を降ると、こんな風にポーズをしてくれました。ノリがいいですね。
▲ ていうか、ノリすぎなのでは・・
▲ あたりは風光明媚で、なぜかラブラブでした。
▲ 自由広場のオペラバレエ劇場、これをぼおっとみながらアイスを食べてました。暑くて暑くて。
▲ だのにこれを登ってしまい、途中で後悔。暑すぎます。内部にはエスカレーターもあったんだけど。
▲ 汗だくのぼくを、冷ややかに見つめるオヤジたち。負けずに「ふふふ、」と不敵に笑ってやりました。
いよいよ明日は帰路。
旅日記、最終回です。
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