ある飲み会の席で、うっかりぼくが口にした「日本は犯罪も少ないし、平和でいい国だよねえ」というセリフに、席にいたほとんど全員からダメ出しされた。「子供がいないからそんな呑気なこと言えるんですよ」とか「テレビを見ないから知らないんだ」など、次々にツッコまれる。総じてぼくは「危機意識が薄い」ということらしい。なるほど、それはいえる。
日本で犯罪に遭う確率は、年間で1.33%(2009年)。
つまり、1000人ごとに13人がスリや強盗、強盗や殺傷などの犯罪に遭う可能性があるということだ。それでも多いと言われればそれまでだけど、まだマシなほうだ、と言えるかもしれない。
同じ条件で、これが米国だと34人、フランスで56人、ドイツで73人、英国で79人。意外とヨーロッパが多い。中国やアフリカ諸国などはもっと多そうである。そもそもこういった国は、たとえ被害に遭う人がいても、犯罪認知件数にカウントされないことも多い。
*%は2009年のもの。どの国も年々減っているのがわかる。【出典:犯罪白書 2010】
それから、犯罪件数は年々増えているんじゃないかという感覚があるけど、実際には犯罪件数は減っている。これは他の先進国でも同様の傾向だ。
街のあちこちに設置されたカメラが犯罪の抑止力になっていたり、ケータイやネットなどが相互監視の役目を果たしていることも、犯罪が減っている理由ではないかと思う。監視社会は窮屈で、やるせない思いだが、かといって悪いことばかりでもない。
世の中はこれからどんどん悪くなるばかり。
そんな空気に支配されている日本を異常に思う。日本より治安の良い国を探すほうが大変なのに、「犯罪も少ないし・・」と口にしたとたん、このありさまである。不安を語っていないと落ち着かない人もいるくらいだ。楽観的な発言には即、拒否反応を示してしまう事のほうが、もはや事態は深刻である。不安による悲観の連鎖は、想像以上に社会を蝕む。この国の自殺者が減らないのも、このせいだとぼくには思える。
人々が不安になる理由のひとつに「メディアの報道のしかた」に原因がある。人目をひきそうな事件や事故を大きく取り上げ、なんども繰り返す。ウケ狙いの報道番組を制作する。これっぽっちの事件が、取り扱われ方次第でとんでもない大事件へと変貌する。
こうなってしまう背景には、有料メディアへのありがたみが薄れつつあるからかもしれない。ネットや無料コンテンツが巷に溢れ、人々はテレビを見なくなり新聞を買わなくなった。これでは自分たちのおまんまの食い上げである。
だからつい、見出しが過激になる。
少しでも目立つにには「良いこと」よりも、心理的に脅しに近い「悪いこと」のほうが効果がある。忙しい人達にも振り向いてもらおうと、見出しに「何人死んだ」とか「大恐慌」、「破綻」だの「暴行」といった文字を並べる。社説や評論にしたって楽観的なものより、厳しい悲観的な意見のほうが信ぴょう性があると囚われがちだ。
そんなテレビばかり見てれば不安にならないほうがどうかしてる。ニュースを見ては不安になり、不安になるからとお笑い番組を見る。暗い気分にさせられたり笑わされたりと、なかなか忙しい。こんなメディアでも売れる背景には、「自分だけが知らない」ことを極端に恐れる国民性に支えられているということもあるのだろう。
ともかく日本で心穏やかに暮らすのは、なかなかしんどそうである。しばらく離れてみれば、この国の良さがしみじみわかるのだけど。
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