中学生でも知っている「享保の改革」。
云わずと知れた徳川8代将軍吉宗が主導した財政改革のひとつ。吉宗ならテレビの「暴れん坊将軍」で知っている人のほうが多いかもしれない。
江戸時代の三大改革といわれ、出題しやすいからかよくテストにも登場した。中学生のころのぼくは生意気で、おまけに歴史好きだったこともあり、先生の言うことにいちいち反論しては嫌われた。成績も悪かった。
この享保の改革を生徒に学ばせるのなら、年号やその時の将軍名なんかを暗記させるより、どうしてそんな改革をしなくちゃいけなかったのか、その背景と改革がもたらしたことで世の中がどうなっていったのか教えて欲しい。なんてことをほざく中学生は、やっぱり先生から嫌われる。女の子にもモテない。でもまあ当時のぼくは少年パンクロッカーでもあった(なにしろ1977年だ)から、先生から嫌われ女の子からモテないのは、むしろ望むところではあったけど。
「国民の・・」から「役人の生活が第一」と党のマニフェストを書き換えた野田さんは、消費増税法案を通すためにしゃかりきに汗を流すが、あれがやっぱりダメなのは「享保の改革」が教えてくれる。
享保の改革をひとことでいえば、安定した財源確保のために倹約と増税を強引に行う政策であった。そこには新田開発などいくばくかの成長施策もあったが、デフレの時に緊縮策をやってしまったために大デフレへと発展した。各地では一揆が頻発、武士も困窮し、全国で反乱が起こる一歩手前まで来てしまった。将来が不安だと出生率も下がった。
これはもう、これからの日本をみるようである。
享保の改革は初めのころはうまくいかなかったが、20年後、ようやく事体は好転し始める。「元文の改鋳(げんぶんのかいちゅう)」が功を奏したのだ。一両小判を両替商に持って行くと、1.6倍の新小判に替えるようにしたのだ。これをきっかけにお金は回り始め、米価もV字回復し、デフレから脱却できた。元文の改鋳を今風に言えばマネーサプライのことである。金融緩和は江戸の経済成長を促し、人口も増えていった。
不況の元凶はたいていデフレである。
デフレ対策には、税率を上げ緊縮策を採るより、マネーサプライを増やすべきだということを300年前の「享保の改革」は教えてくれている。試験のために年号と徳川吉宗という名前を教えているだけでは、そんな教訓も役に立たない。たぶん、思い当たりもしない。
▲ 速く走るには、まずダイエットではなかったか。過重のままでは、走れる馬も走れない。
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