石油の一滴は血の一滴、など言われた戦時中。
それだけ貴重だったということだが、いまもそれは変わらない。ゆえにあいかわらず産油国からはきな臭いニュースが流れてくるし、石油利権には常に覇権国とこれに抵抗する勢力図が浮かび上がってくる。石油が血なら、石油パイプラインはさしずめ血管なのだろう。
石油パイプライン。
これを耳にするだけで、鼻の奥にツンと鉄分を感じる。なぜかソ連が脳裏に浮かび、コメコン諸国が想起される。島国ニッポンでは、外国から購入した石油はタンカーが運んでくるものだが、多くの大陸や半島諸国では、パイプラインを通ってやってくる。
産油国ロシアはそれを外交に使う。パイプラインに流す石油や天然ガスの蛇口を、自分たちの都合にあわせて閉めたり広げたりする。自分たちの言うことを聞く国には蛇口を開き、そうでない国には蛇口を止める。エネルギーの確保はしばしば政治に左右されやすい。ロシアからしかパイプラインが引けない国は常にそのリスクがある。
「カスピ海」とくればヨーグルト。
そう考えるのはたぶん日本人だけだ。カスピ海ヨーグルトは、いわゆるケフィアのことだが、この産地はグルジア。そもそもカスピ海には面していない。
「カスピ海」といえば、やはり中東よりも老舗の油田やガス田で有名だ。それからチョウザメの卵、キャビア。まるでオオサンショウウオのような形をしたこの海に接している国はロシア、アゼルバイジャン、イラン、トルクメニスタン、カザフスタン。国名を聞いただけでも、なかなかややこしそうな海である。また、陸に囲まれているんだから湖だと主張する国もある。イランだ。湖なら共同管理だが、海なら「領海」として接する国同士で分割される。イラン側の領海には油田もガス田もない。そのほとんどはアゼルバイジャンやトルクメニスタン領海にある。
かつて地球上にソ連があったころは、カスピ海油田はソ連領でありモスクワが管理していた。そこで採れるバクー石油はとても品質がよく、精製していなくてもタンクに補給すればそのまま戦車が走るといわれ、第二次大戦時の対ドイツ戦(スターリングラード攻防戦)では祖国ソ連を救ったありがたい石油である。だけど、1992年のソ連解体後は独立したアゼルバイジャンのものになった。ロシア人としてはこれが気に食わない。石油パイプラインはロシア領土にも引かれているが、コーカサスを横断して黒海沿岸までひかれているパイプラインは、もちろんロシア人の好きには使えない。「石油が欲しければロシアのいうことを聞け」的外交が通用しないのだ。
それでもアゼルバイジャンやグルジア、アルメニアなど旧ソ連領域での覇権を続けたいロシア人は、ここ20年間ずっと民族間の紛争に介入しては軍を駐留させ、紛争を仕掛けてじゃまをした。幾度ものチェチェン戦争、ナゴルノ・カラバフ紛争、最近ではオセチア戦争など暇(いとま)がない。ほおっておいてもアゼルバイジャン人やアルメニア人などいざこざが多いが、ロシアがアルメニア側についたり、南オセチアとグルジアが戦争をすればオセチア側についてグルジア軍を粉砕したりしている。
さらに複雑なのは、カスピ海の油田をめぐり、米国や西欧諸国が関与していることだ。「BTCパイプライン」といわれる構想が生まれたのは1999年のこと。カスピ海油田からの石油を、アゼルバイジャン(バクー)からグルジア(トビリシ)、そこからトルコ(ジェイハン)を経て地中海までひっぱってこようというものだ(BTCはこれらの都市のイニシャル)。この3カ国はいずれもロシアを距離を置こうとしている。西欧米諸国とは共通の利害を持つ。カスピ海油田の良質な石油を安全に西欧諸国へ運ぶためのパイプラインは、ロシアや中東の影響を受けないことが望ましい。ゆえに米国はこの建設を強くあと押しする。当時の大統領の名をとって「クリントン・プロジェクト」とすら言われるほどに。
▲ BTC石油パイプラインのルート(アゼルバイジャン、グルジア、トルコを経てカスピ海油田と地中海を結んでいる)
ルートは決定されたが、自然条件は厳しい。計画では膨大な建設費などの投資に対し、収益源である石油が安すぎてこれじゃとても採算があわない。一時は建設は見送られそうになったクリントン・プロジェクト。だが、とつぜん2002年に再開されることになる。
なぜか?
アフガニスタン戦争が始まり、石油が高騰したからだ。高騰すればリターンが増え、採算ベースに乗る。戦争さまさまである。ではなぜアフガニスタンで戦争が始まったのか?
あの9.11同時多発テロが起きたからである。
ブッシュ大統領(当時)は高らかに「これはテロとの戦争だ」と演説した。たちまち主犯はウサマ・ビンラーティンということになり、米英はアフガニスタンに宣戦布告。さっそく空爆を始めた。テロで3000人やられたら、空爆で10万人の市民を殺すのが米国流(かの真珠湾攻撃も3000人近くがやられ、報復の東京大空襲で10万人の市民を殺した)。必然性があったのかどうかはいまも疑わしい。
あの「9.11」がこしらえられたのは、もしかしたら「BTCパイプライン建設」にも原因があったのかもしれない。米国がアフガンに爆弾を落としていたころ、ロシアでは同じく「テロとの戦い」として、ロシアから独立しようとするチェチェン人を堂々と発砲していた。国際社会はずっとロシアに抗議していたが、9.11を境にピタリと止まった。それに応えたかのようにロシアは、それまでジャマばかりしていたBTCパイプライン建設に対し急になにも言わなくなった。偶然にしては出来すぎている。いずれにせよ、そのようにしてアフガニスタンやチェチェンでは市民が白昼堂々殺されていった。
BTCパイプラインは2005年、無事開通した。
建設には日本の伊藤忠商事(株)や国際石油開発(株)なども参加し、地中に埋める特殊鉄鋼によるパイプも日本の技術が使われた。地震が来てもびくともしない鉄材だ。全長1770km、2005年5月10日にバクーから送られた石油が地中海岸の港、ジェイハンへたどりついたのはそれから1年後の2006年5月28日。計算してみたら、石油の速度は時速20センチである。遅すぎる、が途中なんども止まったのだろう。国境だけで2つ、その上いくつもの山岳やあの2800m級のコーカサス山脈を超えたラインなのだ。もちろん通常運転では、秒速2mで石油を送られる。これによってカスピ海の石油は、ロシアを介さず西欧まで届けられるようになった。パイプラインは分岐して既存のイスラエル領内のパイプラインを経て、さらにアジア大陸までつながっていく。
石油パイプライン。やっぱり鼻がツンとする。
そこに複雑な国際政治を思わずにいられないからだ。石油利権のために、いったいどれだけの血が流されたのか。またこれからも流されるのか。
というわけでもないが、来月、ぼくはそこに行くことにした。
コーカサス三国。アゼルバイジャン、グルジア、アルメニア。アゼルバイジャンのバクーまでの往路航空チケットと、アルメニアのエレバンからの復路チケット。あるのはこれだけ。ビザを取るためバクーのホテルはいちおう予約したけど、あとはなにも決めてない。20年前からずっと狙っていたのだけど、あの辺はもうしょっちゅう紛争ばかりしているのでなかなかいけなかったのだ。
来月の今ごろは、きっと
コーカサスの風に横っ面を叩かれているに違いない。
■ 旅行用にと、超うす型トイカメラを入手
__
__■ 実はiPhoneカバー 意味あんのかな?
と思ったらグリップが効いてシャッターが押しやすくなりました。かさばるけど
__
最近のコメント