ジャカルタのエアポートホテルはフライトの搭乗手続きも代行してくれて、なかなか便利である。部屋のチェックインの時にパスポートと航空券を渡しておけば、部屋の精算と引換に搭乗券とパスポートを手渡してくれる。フロントの女の子は、希望通り「通路側」をとってくれていた。
ホテルの若いボーイは手荷物を引き、搭乗口まで先導してくれた。手荷物を彼から受け取りながらぼくは「ありがとう」といい、残っていたわずかなルピアを彼に手渡し、搭乗口へ向かう。
そのときだった。
すぐ後ろで「ジャリィーン!」とコインが床にあたる音。
振り向けば、先程のボーイが何かを叩きつけたような格好のまま、ぼくを睨みつけているではないか。空港のフロアに跳ね、いろんな方向に転がるコイン。小額の紙幣も舞う。それは今しがた渡したチップであった。少なすぎたのだろうか。彼にとってみれば「こんなはした金よこしやがって!」という抗議のポーズだったのかもしれない。
チップというのはなかなかややこしい。
ドイツや北欧では少なくてもとがめられることはまれだが、イタリアや米国では少ないことを堂々と責められる。多くあげすぎてしまい「日本人にチップ相場を上げられて困る」と別方向からクレームがはいることもある。
日本にも「心付け」とか「御祝儀」なんてものはあるが、ふつうの飲食店で当たり前のサービスを当たり前にされただけで、勘定以上の支払いが要求されるのも、考えてみればヘンである。仕事じゃないか。労働報酬なら店が従業員に払うものだ。チップ目当てに愛想を振りまかれても、こちらはじゅうぶん興ざめである。
初めてロンドンに行って以来、30年間適宜チップを払いながらも、その習慣になにやら暗い歴史を垣間見ないわけにいかない。概して奴隷制度や植民地主義の跋扈していた時代の名残のようなものが、チップ制度にあるのではないか。「払う人」と「貰う人」のあいだを隔てる壁。それは富める主人と貧しい使用人との関係性にも似て、おしりがむずむずして落ち着かなくなるのだ。
▲ 経済格差の高い国では子供たちが「施し」をもとめて外国人を取り囲む
つくづく日本にそんな習慣が根付かなかったことを幸せに思う。それは人を差別することを根本的に嫌う気質が、そうさせなかったともいえる。経済格差がこの国にないわけじゃないけれど、その是正を当事者同士が行なうんじゃなく、「累進課税」という方法で国があいだをとりもっている。
消費税20%にチップ代が15%。
そんなお店でなくても、日本のレストランのサービスは十分行き届いているし、笑顔だってある。あんがい、こういうのが世界ではまだ当たり前ではないのだ。
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