もうずっと昔、ぼくがまだ鼻タレ小僧だったころの一時、近所に住む友だちが全員女の子という時代があった。家を建て替えている間の数ヶ月間、住んでいた町にある小さな平屋アパート。どの家も同じような年格好の同じような構成の家族らが住んでいたような記憶がある。
そんな町でぼくは、やりたかったキャッチボールや怪獣ごっこではなく、仕方なく女の子たちの遊びにつきあっていた。なんてことをいうとちょっとトゲがあるけれど、事実あまり良い記憶として残っていない。女の子多数を相手にすると本当にコワかったから。
いまはどうかは知らないが、昭和40年代の女の子たちが集まればするのはママゴトと相場が決まっていた。地面の上にゴザを敷き、そこが家になる。
「ゲンカンはそっちよ」
適当な側からゴザに上がろうとするぼくを制し、その子は反対側の辺を指さす。
ゴザの上ではたいていごはんを食べたり(ふり)、人形を赤んぼうに見立て「きせかえ」が行われた。ぼくはそれの何が楽しいのかさっぱりわからなかったが、言われるままに「パパ」の役をさせられた。いまでもファミレスや公園などで「パパでちゅよ〜」というセリフが耳にはいれば鳥肌が立つが、きっとこの時のトラウマなのではないかと密かに思う。
今にして思えば、あれは女の子にとってりっぱな家庭シミュレーションゲームだったのだろう。そんなことをわずか3歳とか4歳でやっているのだからつくづく女の子はコワイ、いやスゴイ。
特に「きせかえ」のディテールには舌を巻いたものだ。
リカちゃん人形のヒットはまさにそこにあったわけだが、何種類もの服を朝、昼、晩、さまざまなイベントに使い分けては着せ替えるのだ。出来れば同じものをずっと着ていたいとしか思っていなかった「鼻タレ小僧」のぼくにとっては、まるで異星人を見る思いであった。
_________
ここ最近、あっというまに普及したスマホ。
この手のデジタルガジェットは男子用と相場が決まっていたものだけど、スマホにおいてはそうでもないらしい。20代と思しき女の子たちは、たいていスマホをいじっている。あの長いネイルが硝子板の上をフリック入力できるとはとても思えないのだが、難なくそれをこなしている。マジックのようなその指さばきにしばし見とれ、睨み返されていることにしばらく気づかない電車の中のオジサンがぼくなのだ。
見とれていたのは指さばきだけではない。
その指の先に張り付いたネイルとスマホのカバーの色模様が、なんと「おそろい」なのである。クリームソーダ色に白いドット。もうどこからがスマホでどこまでが人間の肉体なのか、ちょっとわからなくなるほどである。
街角のケータイショップでいまもっとも売れているのはスマホのカバーケースなのだという。オジサンならば皮の一張羅をいつまでも着用しがちだが、女の子たちはシーンや着ている服に合わせカバーケースも着せ替えてる傾向にあるんだそうだ。そう話す店員にいちいちうなずきながら、ぼくは自分のiPhoneをポケットの中で確かめる。こっちは買った時からずっと裸のまま。そのうち「露出狂」などと言われちゃうかもしんない。
もしかしたら彼女たちにとってこれまでのケータイは「きせかえ」としては十分でなかったのかもしれない。ストラップを替えたり、デコったりはしただろうが、そこまでだ。スマホは表面積が広いぶん、好きなデザインにガラリと着せ替えることだって出来る。それこそ着ている服やネイルに合わせることも。
調査によればスマホの保有普及率は20代では男より女のほうが高い、とあるが、それも難なく理解できる。彼女たちにとってスマホは画面つき通信端末というよりは、むしろ人形に近い存在なのかもしれない。
スマホが高性能なのは当たり前。
アプリが便利なのは当たり前。
それよりこれからは「どう見せるか」が勝負。
自分の分身として、センスの見せどころなのだ。
そのうちネイルサロンでも
スマホカバーが売られるかもしんない。
アップバンクストアによると、アプリに500円払うひとはアクセサリーに8000円払うという。なかなか美味しそうなビジネスですね。
最近のコメント