「教えて。ここからどっちの道を行けばいいの?」
「それはそもそも、きみがどこに行きたいかによるね」
と猫はいった。
「どこでもかまわないけど・・・」
「だったらどっちでもかまわないさ」
『不思議の国のアリス』アリスとチェシャ猫の会話
たいていのことはネットを調べればわかる。聞けば教えてくれる。そんな時代になってだいぶ立つ。もう、ネットがなかった時代のことがうまく思い出せない。ただ、あのころは余白があった。ちゃんと、面倒に向き合う時間があったような気がする。
知らないことがすぐに分かるようになったのはいいことだけど、そのおかげでぼくたちはせっかちになった。聞くこと、調べることの敷居が低くなり、直ちに分からないと、いちいち落ち着かないのだ。タメというものがない。そのことで、自分の頭でものを考えることをしなくなったのではないか。そんな気がして、ぞっとすることがある。
こどものころに読んだ『不思議の国のアリス』。
何歳だろうと読むたびに発見がある。こういう物語もなかなかないと思う。上のアリスとチェシャ猫の会話は、始めて読んだ時にはなんとも感じなかったが、いま読むとしみじみ興味深い。ぼくたちが抱えるいろんな問題を示唆しているようにも思える。クイズ番組がやたらと多いのも、占いごときがやたら人気なのも。
いまほんとうに足りないのは
あなたがいま、これから自分自身をどうしたいか
あなた自身が語ることなのかもしれない。
正しいかどうか、そればかりが気になって答えられない。
過剰なコンプライアンス。間違えることがこれほど面倒な時代も、そんなになかったのではないか。その他大勢の大声にかき消され、うまく自分の声が聞こえない。
どこにも、だれにも接続しない日を作り
自分のしたい自分の声をちゃんと聞く。
孤独はそのためにあるが、なぜか嫌われてもいる。
それこそ不思議の国だ。アリス。
と猫はいった。
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