アザラシの赤ちゃん

ちびきちの両耳をつまんで正面から見ると
どこかでみた顔になるなあ、と思う。

思い出した。
アザラシの赤ちゃんだ。

まん丸のつぶらな目、ぼくはこれに弱い。イチコロだ。
タマちゃん一匹で日本中が大騒ぎしたことも記憶に新しい。


▲ タテゴトアザラシの赤ちゃん

日本でアザラシは「海豹」と書くけど
ドイツでは”Der Seehund”「海犬」と書く。
とくに赤ちゃんは、子犬そっくりである。

中でも、とくにタテゴトアザラシは愛らしい。
竪琴アザラシは字の通り、英語でも”Harp seals”という。
成長すると、背中に白い模様がそれっぽくみえるからだ。

カナダのセントローレンス湾には、
そんなタテゴトアザラシを見に行くツアーがある。
直接見たいとは思うが、そこには絶対にいかない。

そこでは、子アザラシの大虐殺もおこなわれている。

カナダの沿岸警備隊はアザラシの群れを見つけると
すぐさま漁港に連絡、砕氷船を率い、漁師たちの船を
アザラシのいる場所まで誘導する。

漁師たちはアザラシの群れ目がけて突入。
生後2〜3週間の赤ちゃんアザラシを見つけては
片っぱしからこん棒で頭をぶん殴り、殺していく。

いったい何のために・・・

毛皮だ。

よく売れるらしい。
頭部を殴り殺すのは、売り物である毛皮を
傷めないようするためだ。

アザラシはそのままこん棒を口の中につっこまれて
身動きが取れないよう固定され、生皮を剥がされる。

なぜ「身動きがとれないように」かといえば、
失神しただけで、まだ生きていることもあるからだ。
生きたまま皮を剥がされる赤ちゃんアザラシ・・・
真っ白な氷原は、アザラシの鮮血で赤く染まっていく。


▲ 虐殺されているアザラシの赤ちゃんはネットで探してください。かわいそうでとても載せられません。

ぼくはその一連のビデオを見たことがあるが、
とても正視できるもんじゃない。
思わず目を閉じても、想像だけで涙が出る。

こうして殺される赤ちゃんアザラシは年間30万頭。
その毛皮はやわらかくて保温に富み、
防寒靴やコートに最適で、輸出産業のひとつだ。

殺す方も殺す方だが、その毛皮を売る方も売る方だ。
買う方も買うほうかもしれないが。

こんな残酷な漁に、誰も反対しないのか?
もちろん反発はある。セレブも反対運動を起こしてる。

対して カナダ政府は
「先住民のイヌイット族が伝統猟としてやっているだけ」
などと弁明する。が、それは数百頭のみ。それも食料で。

外貨稼ぎになる毛皮欲しさに、残りの99.9%を殺す。
これが実情だ。

カナダ政府はさらに言う。
アザラシを野放しにしていたら、彼らが食べる鱈が減ると。
つまり食料連鎖を最適化するためにやるのだと。

それじゃ、日本の捕鯨と理屈は同じになるが
日本人は鯨のすべてを余すところなく使う。
それに魚を大量に減らしているのはアザラシよりも、
圧倒的にクジラやイルカのほうだ。
ならば、こっちを間引けばいいではないか。
少なくてもこの時点で、捕鯨に反対する資格はない。

昨年、和歌山・太地町で隠し撮りした「The Cove」という
イルカ漁を記録した映画がアカデミー賞を受賞した。

伝統的なイルカ漁を「日本人は残酷だ」という観点から
わずか数頭の追い込み漁であっても、ことさら残虐性を
強調しながらシー・シェパードなどが執拗な妨害をする。

アカデミー賞を授与させ、ことさら強調する。

赤ちゃんアザラシはどうなのだ?
こっちは毎年、毎年、毎年、毎年30万頭、
生きたまま皮を剥がされているのである。
ただ毛皮を採取するだけのために。
殴り殺し、身ぐるみを剥ぎ、あとは捨てる。
やってることは大量強盗殺人犯と変りない。
いや、もっともっとひどい。

暴力集団シー・シェパードは、同じ捕鯨国である
ノルウェー漁船に対しては攻撃していない。
以前はやっていた。反撃されてやめた。ヤワなのだ。
カナダにもしていない。結局、日本に対してだけだ。
なぜなら、それだとスポンサーがつくからである。

もともと彼らに正当性は乏しいが、倫理にも劣る。

罪滅ぼしに「アザラシ漁船」にも体当たりしてはどうか。

にんげんって、ありあまるほどフクがあるんだから、わざわざどうぶつがきてるかわをひきはがすことはないじゃないか!(とちびきちも抗議しております)

7 件のコメント

  • 黄色人種、アジア人、先住民、みんな 「同系統」 の人たちですが、白人は団結してるけど、我々はバラバラ、つけ込まれても 「仕方のない」 感じです。「後追いの民」 は 「我慢するしかない」 のでしょう。悲しいけど現実です。そんな間抜けな連中の仲たがいをシェパードなんかは見透かしているんですね。我慢してればいいようにやられ、なまじ反撃すれば 「コテンパン」 、なんて不幸な状況でしょう。第二次世界大戦の時が一番輝いていたのかもです。もう一度やれば、国が消滅するでしょうけど。昔の光は消えかけているのでしょうか?いや、いや、そんなことはありません。ないはずです。ないと信じたいですね。

  • 殺戮が嫌なので、菜食主義しています。革も毛皮も買いません。ウールやダウンも似たような内情なので、買うのを止めました。
    いつもブログを拝見してます。書込みは初めての、サイレント・マジョリティです。
    「他にいくらでも服はあるのだから、動物から奪わないでほしい」。
    なおきんさんにこれを書いていただけたこと、ありがたくて涙が出ました。
    1人でも多くのお方が毛皮購買に嫌悪感を持ってくださることを、願って止みません。

  • 私も2年前から毛皮を一切止めました。お恥ずかしながら、それまではコートや手袋のアクセントに毛皮がついているデザインが大好きで、好んで着ていました。でも、中国で行われているきつねや狸、犬たちへの残虐な仕打ちのレポートをみて以来、強いショックをうけ、一切身につけるのを止めました。今でもその光景を思い出すと胸が苦しくなります。生きたまま皮をはぎとられる動物たちの目がたたえているのは、恨みや怒りではなく、自分がなぜこんな目にあっているのかを理解できずに痛みと恐怖に耐えている、悲しみだけのように見えました。本当に申し訳ない思いで一杯になります。去年の冬から、安価なカジュアルファッションにも毛皮が大流行で、アパレル業界では毛皮が足らなくて困っているという話もききました。知り合いの某人気女性ファッション誌編集長に、その悲惨な現状を伝え、ファッションリーダーたちからマインドを変えていってくれたら・・・とお願いしたこともあります。悲しいかな、今年も流行は続いていますね・・・。温暖化が進んでいるというのに、毛皮です。地下鉄などでは暑くてたまらないのではと思うのですが。
    カナダではアザラシの赤ちゃんをこん棒で・・・。あんな非情な行いをしているのは、中国だけだと思っていました。先進国では、せめて無痛の処置を行っているのだと思っていました。それが無痛であったとしても、ファッションのための毛皮産業は近い将来廃止してほしいと強く願います。ちびきちクンの言う通り。それはとってもシンプルな論のはずなのですが・・・。シー・シェパードのスポンサーはどのような団体なのでしょうか?
    うちのTプードルでも、耳を束ねてアザラシごっごをよくやっています。あらわになった可愛い顔からのぞく、純粋無垢なつぶらな瞳は、毛皮のために犠牲になっているすべての動物につながります。私たちが生きていくのに不必要なものを、生きているものから命まるごと奪う。心をもつ人間として、その不条理さに気づかなければいけない時ですね。遅かったけど、気づけてよかったと思うひとりです。なおきんさん、話題にとりあげていただきありがとうございます。

  • あと、白人の論理、日本人は「白人」という言い方が好きでない特異な国民だと思います。なぜなら、「名誉白人」的に考えたいからでしょう。私もその虜のまま欧州に来ましたが、誰もが 「日本人」 だなんて区別しないですよね。「アジア人」 それに必死で 「私は日本人です」 て抵抗する 「ばかばかしさ」 「滑稽さ」 に気が付くのに数年かかったと思います。白人の 「傍若無人」 さを止められる動物のキーワードは、「かわいさ」 では無く 「賢さ」 なんですね。だから、「アザラシの赤ちゃん」 が平気で殺せるんでしょう。イルカも鯨も 「言葉を持っている」 とか 「社会性がある」 とか、で 「殺すには惜しい」 のような気持ちかも知れません。黄色人種や、黒人は、「賢い」 けど、また 「別」 で、「イルカ」 の方が価値がある輩がいるのも確かでしょう、白人のそれも外国人に友達や知り合いが居ない 「バカ」 に限って。

  • 中には生きていくための手段として、必要に迫られてそうするしかなかった人達、いまも必要な人達もあることでしょう。
    地域に昔から伝わってきたことだから、なにも考えずに続けているということもあるのだろうとは思います。

    けれど、人類全体でいまいちど考え直す時期にさしかかっているのかもしれません。
    これまでの流れで、酷いとは気付かず続け続けている人達に、「気付いたいまから、みんなで考えて変えていきましょう」という呼び掛ける姿勢が大切なカギになるのではないかと思っています。
    お金のためにしている人達や、見栄のために着ている人達のことはいったん放っておいて。

    責められると人は反射的に我が身を守るため反撃してしまうものだから。そこで戦ってる時間がもったいないから。

    なおきんさん、このテーマを取り上げてくださり、ありがとうございます。
    とても気になっていました。

  • こんばんは。
    ごぶさたしています。
    この話題、よくぞ取り上げてくださいました!
    アザラシ猟は善でクジラ漁は悪とは…都合のいい正義を振りかざす人の何と多いことでしょうか。
    つくづく世の中は矛盾に満ちていると思うと同時に自分の矛盾を少しずつ正していきたいと思います。
    私はムートンのコートを持ってますしベジタリアンにもなれない根性なしですが、これからできることを少しずつやっていきたいと思います。
    そういえばペニンシュラホテルグループの全てのレストランで2012年からフカヒレの提供をやめるそうですよ。
    環境保護を考慮してのことだそうです。
    あのホテルはあんまり好きじゃないけど見直しました。

  • 昔の同僚さん、一番ゲットおめでとさまです!
    ほんと、情けないやら腹が立つやらですね。それから「シー・シェパード」の意味には砕氷船という意味も含まれているそうです。こうなるとれっきとした確信犯ですね。大東亜戦争時の日本なら黙っていないでしょうね。
    ———————-
    まきぼうさん、
    初コメントありがとさまです!100歩譲っても服については、かつて化学繊維や織物技術が未熟だったころは皮にも役目はあったのでしょうが、いまのように素材や縫製技術が進めば、わざわざ殺生してまで皮や毛皮を採取する必要は、ことさらないですよね。
    ———————-
    ruruさん、
    そうですね。フカヒレのヒレだけを切り、あとは海に捨てる映像には衝撃でしたが、あんなろくに抵抗もできないアザラシの赤ちゃんを2メートルもある棒で殴り殺さなくたって・・! 捕鯨という他人の非はとことん責めながら、自分の責は放棄し顧みないやりかたに、いっそう憤慨するところです。鯨神社まで建てる日本人文化については意図して無視しながらも。
    ———————-
    昔の同僚さん、
    二度目のコメントで、また本記事のボリュームを超えました。ぱちぱちぱち。自分たちは人道的だという民族に限って、非人道的な行為をいろんな理屈で正当化しますよね。困ったもんです。
    ———————-
    はてなさん、
    「生きるために他の命をいただく」これは食物連鎖ですが、それゆえ食べるものはその胃の大きさ以上の殺生をしないルールが存在しました。鯨油を取るためだけに鯨を大量に殺し、毛皮を取るためだけにアザラシの赤ちゃんを襲う。人道どころか畜生にも劣る行為ですよね。まだまだいろんなお題があるので、またあらためてとりあげますね。
    ———————-
    Keiさん、
    ご無沙汰しています!お元気でしたか?香港ペニンシュラホテルでフカヒレの提供をやめたというニュースは知りませんでした。そうですか。いろいろ考えられてるんですね。いろんな政治的な思惑があるのかもしれませんが、前進ですね。

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    なおきんプロフィール:最初の職場はドイツ。社会人歴の半分を国外で過ごし、日本でサラリーマンを経験。今はフリーの立場でさまざまなビジネスにトライ中。ドイツの永久ビザを持ち、合間を見てはひとり旅にふらっとでるスナフキン的性格を持つ。1995年に初めてホームページを立ち上げ、ブログ歴は10年。時間と場所にとらわれないライフスタイルを めざす。