まるで図書館のような職場。
電話も鳴らず話し声もしない。
キーボードのカタカタという音。
複合機のガシャコーンという音。
1日の大半をパソコンにかじりついて過ごし
それをまじめに仕事をしていると勘違いし
ろくな付加価値も出していない従業員。
かといってサボっているわけではない。
むしろ仕事に追われていたりする。
まるで千本ノックのようなメールの来襲。
管理部門が次々と要求する資料作りに追われる。
いうまでもなく疲弊する。
しかもそこからなにも生まれないのだ。
ITはここまで必要だったんだろうか?
といまさらにように思う。
個人情報がここまでうるさくなったのも
ITへの過剰な期待と、その反作用のような不信感。
信用と不信がマッチポンプになって投資がかさむ。
蛇が自分の尻尾を食べちゃうのと同じ。
また蛇を買うのにお金がいるのだ。
「ITはひとを幸せにしたか?」と
このごろ、そんなことばかり考えている。
今回のテーマはその「職場編」である。
パソコン一人一台時代となったのは90年代。
あのころからデスク周りの景色が一変した。
デスクがあっという間に狭くなり
職場が埃っぽくなり、目が疲れるようになった。
パソコンがなかったころは
だれが仕事をしていないか、すぐにわかった。
今はだれが仕事をしていないか、わかりにくい。
黙々とパソコンに向かってるから、声もかけにくい。
お客とのやり取りは大半がメールでおこなわれる。
捕まえにくいお客に要件を伝えられるから、というが
電話だと内容が上司に聞かれちゃうから、という人もいる。
そこで「コソコソ話は許さない」とCC:を義務付ける。
おかげで届くメールの量は倍増。自分宛でないメールだが。
できる奴は評価されにくく、できない奴はバレにくい。
忙しいのか、ヒマなのかパッと見、わからない。
話せば5分で済む内容を1時間かけてメールする姿は
ちょっとサボっているように見えないからだ。
ITは称賛されながらも、依存症を増やしていった。
エクセルまでは許せた。問題はパワポだ。
そのパワポ、ほんとうに要るのかな、と思う。
背景がジャマで文字が見えにくいし、
その目的にいたってはさらに見えにくい。
パワポに頼りすぎる営業マンがいかに脆弱か
ぼくはイタイほどそのことを学習したが
ソフトの高機能化は、作業時間をさらに増す。
「パワポ作成時間と営業実績は反比例する」
誰かが言っていたが、まちがってない。
大量の資料をもらうお客にしたって迷惑である。
もちろん企業にITは必要である。
だがIT依存が過ぎれば、企業は弱くなるのではないか。
情報の肥大化は、行動の弱体化を誘発する。
現場、現物、現実から足を遠ざけ、頭でっかちになる。
パソコンできるヤツが仕事のできるヤツ
なんて言われていた時代もあったけど、
そうじゃなかったのは、みんな知ってる。
仕事ができるヤツがたまたまパソコンもできただけ。
できないヤツがパソコン出来ても、ただの便利屋。
ITが供給過多になるにつれ、こんなヤツは用済みだ。
テレビが一人一台になって家庭から会話がなくなったが
パソコンが一人一台になって職場から会話がなくなった。
そのうえ職場にスマホが普及したら・・・
ペーパーレス化を推進しようと、会議資料を電子化し
パソコンを会議に持ち込むようにした会社がどうなったか?
だれも画面から顔を上げなくなり、そのうち
だれが誰にしている発言なのかわからなくなり
やがて、勝手にパソコンで各々内職を始める始末で
まったく会議が成り立たなくなったそうである。
この会社、いまはもうない。
実をいうと、以前ぼくが閉めてしまった会社だ。
以後、ぼくは会議にパソコンを持ち込むことをやめた。
そのうち
パワポとメールの職場での使用を禁止する会社が
でるかもしれない。
メールやんなら外でしな、とかいう会社が。
追記:
ITは恐ろしいほど便利な道具です。でも便利さゆえの「安直さ」もふくまれます。仕事の質はそれをおこなう人間次第のはずなのに、まるで「IT次第」のような誤解もみられます。ITを道具にすれば効率は良くなります。でもそれは「仕事の質」じゃない。質を置き去りにしたまま効率を求めれば、現場から仕事の深みや愚直さが排他される危険性があります。とても大事なことなのに。ITのもたらす「安直さ」はそのまま人の手抜きにつながり、効率はやがて質の低下をまねきかねません。今回の記事で伝えたかったのはそういうコトです。「自分の会社に勢いがないなあ」と思ったら、ITメタボを疑うといいかもしれません。IT贅肉をこそぎ落とし、筋肉質な会社、筋肉質な日本、を取り戻せればと願います。
なおきん@オマエがいうか
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