デュッセルドルフ、ライン川のほとりに
ニューヨーク・ニューヨークというカフェがあった。
カフェというよりはビアホールのようであり
ダンスホールのようでもあった。
店の入口と店内には分厚いカーテンで仕切られており
初めて入るときなど、いささか緊張するかもしれない。
ぼくがその店に通っていたのはまだ20代後半、
日本ではちょうどバブルの終焉を迎えていたころだ。
20代後半の記憶は、不思議とぼんやりしている。
精神もやや落ち着き始め、つつましく暮らすぶんには
それほどお金に困ることもなかった。
週に一度は夏はプールで泳ぎ、冬はスケートをした。
年に2度、長い旅行にでかけ、週末はテニスもする。
健康的というより単に活動的なだけで、毎晩飲み歩いてもいた。
徹夜で店で飲むことも、昼間から飲んだくれることもあった。
ぼんやりした記憶なのはこのせいもあるかもしれない。
ニューヨーク・ニューヨークもそんな通い店のひとつ。
人を通じてこの店を知り、波長が合ったのか通うようになった。
大勢で行くこともあれば、ぶらりひとりで行くこともあった。
知り合ったばかりの女の子といくこともあったし、
湾岸戦争から帰ってきたばかりの兵士と飲むこともあった。
たいてい前の店で飲んでいて、入店時にはすでに酔っていた。
▲ デュッセルドルフ、ライン川のほとり。飲み歩くにはちょうどいい酒場通りがある
店では名前の通り、よくニューヨーク・ニューヨークがかかった。
この曲が流れると、あちこちで歓声が上がり、乾杯がはじまる。
ここにくるひとたちはみんなこの曲が大好きなのだ。
ぼくたちもグラスやジョッキを合わせ、互いに飲み干す。
人いきれと煙草のけむり。高い天井にエコーがかかり、
ただのおしゃべりが不協和音だらけのコーラスのようだ。
ときおり踊ることもあった。
見渡せばもうそこらへんで踊っている。
魅せることはない。ただその場で身体をくねらせる。
店内にイスはほとんどなく、みな立って飲んでいた。
「そのほうがビールがいくらでもはいるじゃないか」
ドイツ人の合理主義である。
酔って身体をふらふら揺らしていると、
世の中なんてもうどうでもよくなってくる。
あらゆる幸福や不幸が、どれも錯覚のように思え
気分しだいでうつろうんじゃないかと思えてきた。
フランク・シナトラはくり返す。
if I can make it there, I’d make it anywhere
it’s up to you – New York, New York
ここでうまくいけば、どこでだってうまくいくんだ
お前しだいだ ニューヨーク・ニューヨーク
ぼくは酔い、歌ごとおなかいっぱい飲み込む。
過去を悔やむことはなく、未来を案ずることもない。
いまここでうまくやれば、それでいいじゃないか。
そんなスーパーポジティブな20代のおわり。
ぼんやりしていたが、
いまのぼくには少し、まぶしい。
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