▲ 書いている時間より、なにを書くか悩む時間のほうがずっと多い
1週間に1度は書店に足を向ける。
おどろいたのは「正しい文章の書き方」に関する本が増えたこと。
それだけ「上手な文章を書きたい」と思う人が増えたのだろう。
メール、ブログ、SNS、ツイッター・・・
思えばどれも書くことばかりだ。
インターネットの功績は、人により文章を書かせるようになったということもあるかもしれない。ぼくについて言えば、イラストまで描くようになった。写真も撮るようになった。音声収録もしたし、動画の編集までするようになった・・・と、キリがない。
80年代から90年代にかけて、コミュニケーションといえば、たいてい「会って」「話し」「伝える」ことを意味した。仕事で、または友人同士で。いま、コミュニケーションの手段でもっとも利用されているのは「書く」、そして「読む」ことじゃないだろうか。
なるほど書店に「文章の書き方」本が積まれるわけである。
それにしても、書くほどに自分の実力を思い知らされる文章。
ほんと、イヤになってくる。
たしかに、なんとかしたいと思い、その一冊を手にとってみる。
つまらない・・・
まるで国語の教科書だ。
昔から国語は大の苦手である。
授業は「寝る時間」と決め、教科書は新品のままだった。
つねづね思うのだけど、正しいことを正しく書くのは正しいかもしれないけど、つまらない。むしろ、間違っていてもいいからその人の視点と考え方が、つまりその人の言葉が書かれている方がいい。
でなきゃ意味がない、とすら思う。
いろんなブログをみても「正しいことをひたすら正しく書いているブログ」は概して人気がないようだ。たぶん、別にあなたが言わなくても・・・とか思われちゃってるのかもしれない。
世の中のほとんどのひとが正しいと思うであろう「正論」をいくら並べても、誰かの心を揺さぶることは難しいと思う。少なくてもグッとこない。
この文章、うまいなあ
と感じさせる何かは、正しさでは測れない。
いささか矛盾した内容にこそ面白みがあるのだ。
さみしがり屋だけど、ひとりがすき
ほめられるとうれしいけど、はずかしいからいやだ
しっかりしてるけど、おっちょこちょい
めんどくさがりやだけど、がんばりやさん
・・・
人生の面白みや人間らしさは、そんな矛盾の中にあると思う。
間違っていてもいいから、
自分の正しいと思うことを書く。
つまらないけど、おもしろく書く。
感情的なことを、冷静に書く・・・
なんてことをつらつら思いながら、きょうも書いてます。
とても「正しい文章の書き方」の参考にはならないけど。
タイトルにつられた方、ごめんね。
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