ぼくの知り合いに、舘ひろし似のイイ男がいる。
そいつ(仮にヒロシと呼ぶ)からFBに20年ぶりに連絡があった。
20年前、ヒロシはなんと白衣を着てアデランスに務めていた。
相談員という立場なのに、トップセールス賞で会社から外車を与えられた強者だ。顔もいいが口もうまい。うぬぼれも強い。まだ昭和の終わりごろ、2人で夜の六本木を散策したときも「あの女の子ら、きっとぼくらのこと芸能人だと思ってるよ」なんてことも平然と言う。
いまでこそテレビCMが目立たないが、かつてはカツラCMが絶好調の時代があった。今も昔もハゲや薄毛で悩む人達は多いが、80~90年代のころはそんなカツラをめぐって悲惨な事件も多かったのだ。
大手のカツラ業界は名前こそ有名だったが、顧客サービスの点では褒められたもんじゃなかった。テレビCMなどで盛んに喧伝しては無料の「頭皮チェック」に訪れた悩める羊たちに、合計数百万円もするカツラを契約させていた。髪も薄いが効果も薄い。隠すばかりじゃきりがないのだ。それどころかカツラはつけていれば余計薄くなる。人工植毛に至っては、化膿したり皮膚ごと禿げたりする被害が相次いだ。
結果、リピート率は10%。
カツラは定期的なメンテナンスを必要とする商品だ。本来なら何度も通う。だが驚くべき離反率の高さである。ヒロシに言わせれば、1回でも来店してくれば採算は十分とれたという。オーダーメイド・カツラはひとつあたり平均40万円。しかし原価は1万円。客はこんなものを最初の来店で、あれやこれやで何個も買わされる。
ふつうなら「悪い評判」が広まり商売は成り立たない。
だが、カツラは別なのである。
顧客にとっては来店したという事実こそもっとも知られたくないことだからだ。つまり被害届が出されにくいのだ。それを想定しての商売、風俗店でぼったくるのとどこか似ている。
ヒロシは割りきって仕事をしていたが、ついには良心に負け、退職してしまった。無理もない。カツラのローン返済に苦慮し、自殺者まで出たのだ。バブル真っ盛りの時代であった。
同じバブル時代を知る仲間と当時の話をすると、必ずこのヒロシが話題になった。だが、彼にも言い分がある。
「人はなぜカツラを付けるか知ってるか?」
「まわりの外見至上主義の視線を意識して悩むからだよ」
本当に怖い視線はまわりからではなく、自分で自分に向けられた視線だとヒロシは言う。禿げている自分が許せないんだ。カツラをかぶり、かぶっていない自分を見下しているんだよ、と。
だからカツラははずせないんだ。風の強い日は予定だって変える。
ヒロシもまた、カツラだった。
人づてに、カツラがバレることを怖れ失踪したと聞いた。
うぬぼれもまた、薄氷の上に立っていたのかもしれない。
自分の外見を気にする人は、同時に相手の外見も気にするものだ。
禿げてもないのに薄毛を気にしたり、太ってもいないのにダイエットに勤しむ人を目の前にすると、にわかに緊張する。きっと、同じ要求を周囲にもしているだろうからだ。
ソーシャルネットワークの普及で、友達の数を競うような社会はどうも居心地が悪い。ライトな関係にありがちな、瞬時に相手の評価を下す風潮がはびこる。これが人をますます外見至上主義へ誘うのかもしれない。
カツラメーカーもバブル当時のように乱暴なことはしなくなったし、薬でハゲも治るようになった。ダイエット療法もどんどん進化したし、アンチエイジング化粧品も百花騒乱である。
だがこれらは、科学技術の進歩だけによるものだろうか?
もちろん、人がキレイになっていくのは良いに違いない。
でも、それを裏づけするかのように世の中が不寛容になりつつある気も、またどこかでするのだ。
ヒロシはいま、金沢で親子3人で暮らしている。
写真を見せてもらったが、見事なスキンヘッドだった。
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