落ちこむと、他人の顔を見る習性がぼくにはある。
この歳になると、あまり落ちこむこともなくなるのだけど
それでもごくたまに、落ちこむことがなくもない。
落ちこんだとき
たいてい、空を見上げたり、星の瞬きを眺める。
宇宙のように、とてつもなく大きなものをみれば、
落ち込ませる悩みなんてちっぽけなこと。
そう思う人は、わりと多いんじゃないかと思う。
でも空は悩まないし、雲は落ちこまない。
そんなものみても、自分との距離を感じるだけ。
なんてことを、ぼくは思う。
人は、人だからこそ悩むし、落ちこむ。
だからぼくは、人の顔をみる。見てまわるのだ。
他人の顔を次々に見ていると、
みんな何かしら悩んでは立ち直り、
悩んでは立ち直りを繰り返しているのが見て取れる。
あの人はお客に叱られたかもしれない。
あの人は家庭がうまくいっていないかもしれない。
彼女に振られ、彼氏にふられたかもしれない。
失業しちゃったかもしれない。
がんばってね、とすら思う。
落ち込んでいるのは自分のほうなのに。
しかも勝手に想像しているだけなのに。
よくみると人の顔は本当におもしろい。
見ていて飽きない。この人にも親がいて、
100年前は形すらなかったのだ。
そんなことを思いながら、
人の顔を見る。
この人はきょう、何を食べたんだろう?と。
落ちこむと
空を見る人もいるし、なにも見ない人もいる。
酒を呑む人もいるし、誰かに話す人もいる。
ぼくのように、他人の顔を見る人もいる。
落ちこむというのは、
結局のところ、それだけのことだ。
落ちこんだら、また人の顔を見に行けばいいし
飽きたら、こんどは鏡で自分の顔を見ればいいと思う。
残念な顔かもしれないけれど、
2つとない顔である。たぶん。
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