きのう自転車でだいたいの見当をつけたので
今日は馬車をチャーターしてじっくり見てまわることにした。
念のためガイドも雇った。英語が達者なソウさんです。
「こんにちはソウさん、きょうはよろしくね」
「はいはい、バガンの見どころ、ばっちり案内しますです」
「1にちでだいたい何箇所くらい見れるんですか?」
「体力と混み具合にもよるけど20箇所くらいですかね」
「えー、そんなに!」
まるで敏腕営業マンの飛び込み営業なみである。
そんなに走りまわって、馬は大丈夫なんだろうか?
というわけで、こちらは馬車を操る御者のタナカさんです。
「こんにちは、タナカさん」
「・・・・・」
田中さんは顔にビルマ特有のおしろい(タナカ)を塗っているので、ぼくが勝手にそう呼ばせてもらいました。タナカは女性か子供が顔に塗るもので成人男性はあまりみかけない。それと、ちょっと感じが「インパルスの板倉」に似ていなくもない。
「タナカさんと板倉さん、どっちで呼ぶのがいいですか?」
「・・・・・」
というわけで出発進行!(ひひーん!)
今朝から折しも雨。幌全開というわけにはいかず残念。
パカパカと軽快に走る馬車。エンジン全開1馬力である。
ぼくはタナカさんの横、前列に座り、ソウさんは後ろ。
走りながら馬はブリブリーッとうんこをした。
ちょっと下痢気味である。飛沫が風で飛んできそうだ。
1.シュエズィーゴン・パゴダ
バガンを代表する大きなパゴダ。参拝者が絶えないが、花や金箔を売りつけようとするおばちゃんや少女たちが、少々厄介。
風に揺られて風鈴がチリリンと鳴った。
2.タンドーチャ石仏
これは日が暮れなずむ中、恐る恐る中を除いたら中にいた仏像と目があってどっきり!両耳から傘が生えていた。後光の電飾が不気味に光る。ありがたいというよりは、なんか怖かった。
3.ローカナンダー・パゴダ
1059年とわりと古いパゴダ。セイロンから交易船がやってきていたこともありその影響を受けている。
4.ティンローミィンロー寺院
1215年に建てられたバガンを代表する大寺院。というよりヨーロッパの古城のようだ。寺院名の意味は”傘の王”。何とかさの倒れた方の息子を後継者にしたという。
▲ この寺院のわきには戦没された日本軍将兵の慰霊碑がひっそりとある。ミャンマー全土で19万人もの日本人が亡くなった
5.シュエグーチー寺院
1131年の寺院。12世紀の典型的な建て方なのだという。
6.ミィンカバー・パゴダ
結局外から眺めただけだったが、12世紀ごろのパゴダらしい。馬車とのアングルはなんだか開拓時代のアメリカの風景のような気がしないでもない。
7.スラマニ寺院
これも大きな寺院。馬車でここへ向かっていると、なんだか城下町へ近づいているような錯覚を覚えた。1183年、鎌倉幕府が開く10年前に建てられた。
8.ダマヤンジー寺院
何かといわくつきの寺院である。敷地面積はバガン一を誇るが、国王は実父や実兄弟を殺してまで即位したため、民衆から嫌われていた。けっきょく建物は未完成のまま、現在に至る。
ちなみに、ここは幽霊が出ることでも有名である。
ここに幽霊が出る。ぼくには見えなかったけど、もっと霊感が強い人は見えるかも?
9.シュエグーチー寺院
1131年に建てられた寺院。アーナンダー寺院によく似ている。
10.アーナンダー寺院
1091年に建てられた威厳のある大寺院。個人的にはもっとも好き。最大かつもっとも美しい寺院として、他の寺院の模範となった。中には大きな立仏陀がある。近くで見ると怒ったように見え、離れてみると微笑んでいる。
11.マハーボディー・パゴダ
塔の部分に仏様が埋めこまれた珍しいパゴダ。壁にもびっしりと。インドのブッダガヤにある寺院を模したと言われる。1215年建設。
12.マヌーハ寺院
囚われの身であったマヌーハ国王が建てた寺院。囚われの身とあって、寺院内の大仏がとても窮屈そうに収められている。
修復中の寝仏陀、作業員と比べても顔がでかい
13.ブーパヤー・パゴダ
ミャンマーでもっとも大きな川、エーヤワディーの可岸に立つ円筒形の仏塔。3世紀に建てられたという噂もある。ここに来たとき、ちょうど夕暮れで地元の人達も夕涼みに来ていた。なんだか人恋しくなってしまいました。
あと何箇所か回ったのだけど、記録する気力がなくて省略。
ていうか、これだけのパゴダや寺院を一日で見て回るともうお腹いっぱいである。それよりお茶漬けが・・という気になる。
それにしても驚くべきは、これだけのパゴダや寺院は今だ現役であるということだ。僧侶が参拝し、一般の人々が日常的に参拝する。荒れるいっぽうのパゴダもあれば、多くの寄進により、ますます光り輝く仏塔や仏像がある。
以前行ったカンボジアのアンコール・ワットやインドネシアのボルブドゥールは違った。同じく11〜13世紀に建てられたが、今は遺跡で仏教徒が参拝している様子もなく、観光名所になっているだけだ。世界遺産には登録されたが、それまでである。
バガンは遺跡ではない。
地震などにより、何度も崩れては修復され、原状回復どころか塔の先にさらに金が貼られるなど、ますます美しくなる。それらの費用は観光局などではない。そこに住み、祈りを捧げるひとびとの寄進によるものだ。
「そうですよね。ソウさん」
「そうなんです。最近の地震は1975年でした。」
「だいぶ壊れたんですよね?」
「私は当時3歳、でもよく覚えてます。砂煙だらけでした」
雨は降り、時にやみ、また降った。
つぶが大きいので、幌にあたってバラバラと音を立てた。
顔や腕は濡れるが、乾いた風ですぐに乾く。がまた濡れる。
「11〜13世紀に建てられたものは簡単に壊れません」
ソウさんとぼくは仏塔に登り、暮れなずむ大地を見下ろす。
「当時の技術者や設計者は素晴らしい技術をもってました」
18〜20世紀ごろに修復したり建てられたものは、たいていさっきの地震で崩れちゃったのだそうだ。
「腕のいい技術者は王様に殺されました」
「自分の建てさせたものよりりっぱな寺院を建てないように」
文化は生むより継ぐが難し、である。
長い記事におつき合いいただきありがとうございました。
この写真の多さが祟って、ミャンマーの通信事情のこともありさんざんトラブルに合間見れることに。結局タイへ移動してからアップ。トラベルはトラブルなり。
馬車でバガンをゆく(動画)
2011年7月19日撮影のものです。馬車で移動する感じが共有できればうれしいです。揺れもまた心地よく、雨が降れば幌をかけ、やめばはずす。そのうち雨に構わずはずしっぱなしにしました。
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