人間それなりに生きていれば、だれしも、
忘れてしまいたいことのひとつやふたつ、あるものだ。
忘れよう、忘れようと、考えれば考えるほど、忘れられない。
つくづく人生のパラドックスである。
失恋、失業、失敗・・、これ以上の悲しみだってあるだろう。
思い出しては苦しみ、後悔し、自分を責め、誰かを恨む。
繰り返し、繰り返す。苦しい。忘れたい。考えたくない。
だが、忘れられない。
人の心理はおかしなものだと思う。
覚えなくちゃならないことは平気で忘れてしまうのに。
忘れようと考えることは、忘れたい対象を意識することでもある。
脳には「覚えておけ」というふうに伝わってしまう。
発表会前とかで「アガりませんように」と思うことで、
余計にアガってしまうのと、どこか似ている。
禁煙しようとして、逆に、よけい吸いたくなるのも。
忘れたいことを、ことさら封印しようと努力する人もいる。
誰にも話せず、人に話すことを悪しと考える人もいる。
特に男性に多いんじゃないかと思う。
だがそれは違う。
苦しいことや悲しいことは、どんどん外に吐き出すほうがいい。
親しい友人に話したり、自分日記に書いたりするのだ。
大勢に聞いてもらう必要はない。対象は数ではなく、質である。
大失恋も、詳細に、大失敗も、具体的に、自虐的に。悲劇的に。
そうこうしているうちに、どうでもよくなってくる。
だんだん、考えるだけでも面倒になってくる。
どうでもいいことは、どうでもよくなるし、
どうしようもないことは、どうしようともしなくなる。
失恋についていえば、女性は意外と立ち直りが早く、
男のほうがあとに引きずるというふうに聞く。
ぼくもそうだったかもしれない。
これは男性のほうが未練たらしいというよりは、
恋愛について他人に話す傾向が女性に強いからだと思う。
男は他人に話すことを女々しいと考えるものだけど、
かえってそのことが女々しい原因になるかもしれない。
人の記憶には「忘却曲線」というのがある。
悲しいことや苦しいことも、3ヶ月かけて2割減り
さらに3ヶ月かけて、9割がた減るものなのだ。
忘れようと頑張り、無理に封印してしまう。
そのことで「忘れたい何か」が、忘却曲線とはちがう場所に
保管されてしまうかもしれない。悪い血のように。
閉じ込めることで、かえって身体をじわじわと蝕む。
これをトラウマという。
強そうにみえる人ほどトラウマも強いというが
なんとなくわかる。
あんがい弱そうに見える人のほうが、
人生をうまく渡っているかもしれない。
柔よく剛を制す のだ。
例えがちょっと違うが。
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