今の時代、
以前よりずっと孤独でいることが難しい。
たとえ一人ぼっちで部屋にいても、
ネットでどこかと繋がってしまう。
知らず、常に誰かしらの意見や考え、
挨拶やひとりごとなどにさらされている。
しかもそれらはとてもリアルで、
たった今起きているできごとだ。
いわば、自分のではない他人の現実、
それらがひっきりなしに流れている。
たしかに便利といえば便利である。
だが何に対して便利なのだろう?
いつしか社会通念となった便利さに
つい自分の存在を忘れそうになる。
抱くべきでない疑念や、
投げかけるべきではない問いに、
ぼくらはしだいに無感覚になっていく。
孤独ではない。だが、空っぽだ。
そのことはぼくに一本の空瓶を思わせる。
世界はこんなにも広いのに
明るすぎて、かえって見えない。
そんな感覚にも似ている。
ある日、ぼくはBARのストゥールに座り、
少しだけ飲んだロックグラスを見ている。
傍らには、いま飲んでいるウイスキーの瓶。
瓶は中身を吐き出すばかりで、逆はない。
孤独がいいのは
自分をあちこち分散させることもなく、
すべてを何かひとつに向けられることだ。
悩みたければ悩めるし
間違えたければ間違えることができる。
間違いを見つけたり、正す時間がある。
ぼくはパソコンもネットも好きだけど
ひとりで考えたりする時間も好きだ。
ひとり間違えたり、それを見つけたりするのが好きだ。
ネットでは頼まなくたって、たちまち正される。
たしかに便利といえば便利である。
だが、それは空き瓶ほどの便利さでしかない。
もとあった液体でなく、
なにか別なもので満たすだけの空き瓶。
それを正しいというのなら、
孤独の方がまだマシだ。
そんなことを思いながらぼくは
空のグラスを見ている。夜明け前の
空のカラスを見ている。
ぼくもなんだかたそがれてみたくなったんだよ
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