1973年のことを覚えているだろうか?
もっとも読者の半分は「生まれてすらいない」かもしれない。
ぼくはその年の夏、ビルの窓ガラスに身体ごと飛び込み、全治2ヶ月の重症を負い(その時のようすはこの記事で)、入院。数ヵ月後、骨まで露出していた足首も無事つながりやっと歩けるまでになったころ、あの第4次中東戦争が勃発した。
アラブ諸国は、イスラエルがアラブから奪った領土を返すまで、毎月5%ずつ石油生産を減らすと脅した。それをきっかけに石油は一年で四〜五倍にまで高騰し、世界中が青ざめることとなった。
いわゆる「オイルショック」である。
この時のパニックぶりはこないだの計画停電の比ではない。
生活物資の値上げはすさまじく、人々は買い占めに走り、トイレットペーパーなどは街から消えた。便乗も含めあらゆるものが値上がりした。当時、日本はエネルギーの石油依存度は77%もあり、その99%が輸入に頼っていた。そんな日本をして、石油が高すぎるからもう買えなくなると風評がたった。日本の石油タンクは空になり、人々は徒歩で移動するしかなくなり、焚き火で煮炊きや暖をとるようになると大真面目で語られた。煽ったのはもちろんマスコミだ。テレビでは必死の形相でオバチャンたちが商品を奪い合う光景が映し出され(これは本当に怖かった)、それを見た多くの人々がお店へ殺到した。物価はどんどん上がった。
▲ オイルショック時の買い物風景
退院してからしばらくして、ぼくはかつて家を飛び出したオカンに引き取られ、彼女の経営するレストラン(夜はパブ)の二階で暮らすことになった。妹と、住み込み従業員たちも一緒だった。ネコもだ。昼間は店に降りていき、客席で宿題などをしていた。絵を描いて笑われたりもしたが。
そのころの物価の上がり具合はよく覚えている。店のメニューの内容は大きく変わらないが値段が変わった。コーヒー代は100円が150円になり、200円になり、まもなく300円になった。自動販売機のタバコ代も毎月上がった。
来るお客は「おちおちお茶も飲めやしねえ」と嘆き、「飲めなきゃ来なくていいんだよ、この貧乏人!」とオカンに叱られていた。ひどい店主である。だが店に客足が途絶えることはなかった。
オイルショック後、世界は一変した。
フランスは一気に原発導入へ拍車をかけ、ソ連は自国の石油発掘をどんどん進めた。つまり資源のない国は原発などの代替エネルギーへ、資源のあるところは開発へ、それぞれ持てる資金とリソースを費やしたのである。
その時日本はどうしたか?
まずは石油消費量を減らすことにした。
エコのエの字もなかった「消費は美徳」の時代に、NOを突きつけたのだ。それをみて世界は「日本はもう終わりだ」「奇跡の高度成長も元の木阿弥だ」などと評した。そう評されるのも無理はない。経済成長を支えるのはエネルギーの消費の増大あってこそ。それが世界の定説であった。これだけ石油価格が上がっては日本は燃料も物資も輸入できなくなる。そう考えられた。日本のマスコミもエコノミストも、日本はもうダメだとか、自分の国なのにひどい報道ばかりしていた。
▲ オバチャンたちの顔もコワーイ。主婦らしいユニークなデモだが深刻であった
オイルショック時代、日本人は停電の中で暮らしたのである。
そんな状況の中で、量的な経済拡大を質的拡大に大変換した。省エネ化を進め、毎年6~7%増えていた石油輸入量は以後増やさなくした。にもかかわらず、GNPは毎年1〜2%増えた。
あり得ない事例に、目算を誤ったのはOPECである。世界で最も自分たちの石油を買ってくれている日本からの需要が増えないのなら、値上げを続けるのはリスクである。これ以上続ければ、かえって世界は石油依存から遠ざけることになりはしないかと。そう判断し、石油価格を下げに転じたのだ。
これにあせったのはソ連である。
中東よりやや安めの価格で石油を日本に売り、漁夫の利を狙おうと、石油発掘に大予算をかけた後だったからだ。ようやく石油が産出されるようになったころには、国際石油価格はみるみる下がっていたのである。もちろん日本は一滴もソ連から石油を買ってくれない。細々とコメコン(東欧などソ連の衛星諸国)に売るだけでは費やした投資は回収できず、ソ連の命運は尽きた。これも遠因となり経済は破綻、結局1991年、ソ連は崩壊した。
つくづくこの国は日本に翻弄されている。
ロシア帝国が崩壊してソ連になったのは日露戦争で負けたことが遠因だったし、こんどはソ連が崩壊してロシアに戻ったのも、日本の節電だの省エネルックだのが遠因となったのだ。
だがそんなロシア人は日本が大好きである。フクシマの影響で世界中が日本食を避け始めたころ、逆に日本食を買い占めにかかったりもした。進んで日本製を選び、愛用する。その贔屓ぶりを、イギリス人やドイツ人は不思議がった。風評で世界中の大使館が狼狽しながら東京を脱出したときも、でんと構えて東京に居座りつづけた。「だってフクシマの放射能はたいしたことないからね」と。
チェルノブイリ原発事故で痛い経験をした当事者である彼らの、そんなふるまいに勇気づけられた人も多い。また、3月18日付でロシアのメディアは「大震災により日本は悲しみに暮れている。彼らの悲しみを和らげるために、北方領土を返そうじゃないか」と記事を載せた。意外である。同じ日、香港の新聞は「日本が国難であるいまこそ尖閣諸島を軍事占領すべきだ」という記事を載せた。これも意外である。
震災直後、世界のメディアが日本の復興を疑わなかったのは、敗戦からの復興と、石油ショックからの見事な復活を果たした日本を世界が覚えていたからだ。停電を甘受し、節電をも進んで行なう国民性は世界の常識すら変えたのだ。当時も今も風評はある。そのほとんどはたいていネガティブなものだ。だけど真の評価はそんなものでは変わらない。
心配ない。あんがい日本人はたくましい。
きっとまた世界が驚くんだろうな、
となんども思うんだけど、また思う。
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