毎日、原発と電気のことばかり考えている。
それなりに勉強もした。
すると現地に飛び、いろいろ調べたくもなってくる。
だが仕事もある。責任もある。分相応に生活もある。
福島第一原発から30km圏内にある南相馬市。
NHKも朝日新聞も「直ちに人体に影響がない範囲」と政府発表をこだまのようにくりかえすが、一方でNHKの南相馬報道室や朝日新聞南相馬通信局の記者や職員たちは、被曝を恐れてそこから逃げ出してしまった。どうも伝えていることとやっていることに一貫性がない。
「直ちに人体に影響がない」とはいうが、放射性物質は累積被爆量でみなければならない。懸命の努力により最悪の事態は避けたものの、福祉第一原発から漏れる放射性物質はまるでモグラたたきゲームのようである。こちらをふさいでみれば、あちらから漏れている。流出を止めても、まだどこからか流れているかもしれない。しかもこのモグラたたきは数カ月で終わらないだろう。「米軍のサポート次第」ということもあるが、下手をすれば数年間、放射能物質を放出し続ける可能性がある。
やれやれ、とんでもないもので発電していたものである。
だがこれも後の祭り。いや、まだ日本には50基弱もの原発がいまも発電し続けているのだけど。
事故が長引けば長引くほど、累積被爆量が増加する。
被曝は時間に乗算される事を忘れてはいけない。たとえわずか0.8マイクロシーベルト/時だとしても、24時間365日被曝し続ければ体内には7ミリシーベルトも溜まる。3年経てば20ミリシーベルトを超える。たぶん東京に住んでいればこのくらいだと思う。
はたしてこれが人体にどう影響するか?
この程度なら影響がない。
ていうか、ぼくはまったく気にならない。
ただし中心地から30km圏であれば、20ミリシーベルトなどものの1~2ヶ月で累積してしまう。1年で120ミリシーベルト。2年で240ミリシーベルトである。250を超えてくると人間の体から白血球が減少してくる。だが、ヨウ素ならば8日ごとに半減する。「ただちに」ではないが影響がないこともない、という程度。ちなみに制ガン、抗ガンの効果があると言われるラドン温泉やラジウム温泉の濃度は、1リットルあたり110ミリシーベルトである。こうなるともう、放射線を浴びるのは体にいいのか悪いのか、今ひとつよくわからなくなってくるのだけど。
実際、広島で原爆の被害に遭い、身体から出血したり脱毛したりし始めたひとは2000ミリシーベルトが体内から検出され、4000シーベルトを超えてくると50%の確率で死亡することが確認されている。米国は実によく調査している。人体実験をやりたくて原爆を落としたんじゃないかという気がするくらいだ。
ちなみにぼくの両親は、ふたりとも原爆手帳を持っている。
つまり被曝者である。
原爆手帳の所有条件は、広島に原爆が落とされたとき爆心地から12km以内に居たか、爆発後2週間以内に2km以内に立ち入ったと認定された者、とある。この時の広島は爆心地から2km以内で80ミリシーベルト/時ほどであったといわれる。オトンもオカンもまだ幼児であったが、とにかくこうして被曝した。オカンの母親(つまりぼくのおばあちゃん)は爆心地で大やけどを負い、数日で亡くなった。
互いに原爆手帳を持っていることをオトンとオカンが知ったのは、驚いたことに結婚しぼくが生まれて40年も経ってからである。黙っていたのは「被曝者だと知れば結婚してくれないと思ったから」ということらしい。(ちなみに両親はぼくが5歳の時に離婚したが)二人とも同じ理由を隠していたというのが笑える。いや、笑えない。あんまりである。その二人から産まれてきたぼくの立場はどうなるのだ?
だが被曝者の息子は、いまもこうして元気である。
両親も健在である。だが当時は相当な風評にさらされていたに違いない。「ゴジラの誕生は放射能による突然変異」という設定も、当時の被曝に対する日本人観を伺わせるものがある。
ぼくについていえば、白血球もリンパ球もすこぶる正常。頭髪はやや寂しくなってきたが、これはたぶん歳のせいだ。そりゃまあ性格的に少し天然だったり、いささか肩こりに悩まされていたりしているが、人間ドックの診断では「実年齢より10歳若い」などといわれた。
被曝はとかく風評がコワイ。
放射能による人体の影響より、こっちの被害のほうが甚大だ。ぼくのオトンやオカンがそうだったように、「ヒバクシャ」というのは立派な差別用語だったのである。
いまも原発付近に住む女性には、露骨な結婚差別があるとも聞く。
数字が正しいかそうでないかはともかく、どの放射性物質が人体にどう影響するか、実はよくわかっていない。ガンになったところで、果たしてそれが放射能によるものなのかどうか特定することは難しい。ただでさえ、人は生きていれば、いろんな毒やストレスにさらされているのだ。
だから、タバコを吸いながら「東京もやばいかもな」などと首をすくめてみせるのは、いささか滑稽なように思う。
追伸:
ちなみにぼくは1986年4月末のチェルノブイリ原発事故(広島原爆の500倍の放射能をまき散らした)当時、ポーランドやハンガリーを旅行していて軽く被曝してしまいました。当時のソ連や東欧は、そんな事故があったことすら報道されなかったのです。ある意味、風評もたたなかったから誰もがのんきに普通に被曝した牛乳を飲み、ほうれん草を食べ、雨にうたれていました。ひどい話だと思うけど。事故を知ったのはドイツに戻ってから。まわりからは「おまえ、ヤバいぞ」とさんざん脅されたし、スーパーから牛乳とほうれん草が消えていました。でも、はたしてどうヤバかったのか、25年たったいまでもよくわかんないんですけど。
最近のコメント