3月11日の大きな揺れが終わったあと
従業員に会社に留まるか、帰宅させるかの指示に迷う。
都内の電車は全線不通。タクシーも捕まらない。
余震も心配だ。
3時間歩いてでも帰りたい、というものもいた。
歩くくらいなら会社に泊まる、というものもいる。
結局それぞれの意思に任せ、余震も収まった頃
ぼくは会社のそばのカウンター・バーへ向かう。
もしかしたら東京メトロが運転を再開するかもしれない
という情報を聞いたからだ。
これで、歩いて帰るという選択肢はなくなった。
▲ 地震直後の都内のオフィスビルから
時計は22時、しかし店内は空いていた。
築40年のビルの1階で、あれだけ揺れながら
並んだボトルのうち落下したのは3本だけだという。
マスターは「自己責任でお願いしますね」といった。
要するに
ここで被害に遭っても店は責任を持たないと。
ウイスキーのオン・ザ・ロックとカルボナーラを注文。
趣味のいい組み合わせではないが、なにしろ非常事態だ。
入り口のガラス戸を通じ、救急車の赤い点滅が見える。
ケータイはほとんどつながらない。
つながらないし鳴らないが、いつのまにか留守録が3つ。
ニュースを見てぼくを心配する親や親戚からだった。
ツイッターを通じて国内の友人から安否確認が届き、
フェイスブックを通じて国外の友人から安否確認があった。
ワンセグが思うようにつながらず、
会社で得た地震情報は、主にユーストリームであった。
ライフラインの通信手段は確実にシフトしつつある。
スマートフォンへの機種変が加速することだろう。
都内ですら、命の危険を感じた地震の揺れ。
それにしては人々は冷静で、しかも礼儀正しかった。
多くの人々が亡くなられ、救援を求めている。
家が流され、家族の安否に寒さも忘れて立ちすくむ人々。
胸が痛む。同じことが自分たちに起こったかもしれないのだ。
20時に会社をでた従業員から今帰宅したとツイートがある。
4時間以上歩いたという。
直後、ぼくは地下鉄の中にいた。
これまで体験したことのないほどの混雑に肋骨がきしむ。
だれもが、文句ひとつ言わず平然と超満員車内に身をゆだね
ぶつかる肘に毒づくわけでもない。
乗れなかった人々もプラットフォームで整然と列をつくる。
すごい国民だ、とあらためて思う。
海外メディアも絶賛しているとおり。
▲ 押し寄せる津波に飲み込まれる一瞬
いまも人命の救助にあたっている人がいる。
避難場所で人びとの世話をしている人がいる。
病院で救護にあたってる人がいる。
放射能漏れを防ごうと命がけの人がいる。
犠牲者ばかりでなく、
絶望を希望に変えようとする、そんな多くの人たちにも
静かに手を合わせたいのだ。
敬意をこめて、暖房は入れないでいる。
都内にあっても、余震はまだたまにある。
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