先日、新年会をかねて男4人で飲んだ。
全員40代という面子で、仕事づきあいでもない。
こういう集まりは本当にリラックスできる。
話題も多岐にわたり、そのほとんどはどうでもいいことばかりだ。 まあ「あえて」どうでもいいことばかり話すのだけど。
杯もそれぞれ4つを数えるようになると、だんだん話しが下のほうに降りてくる。 焼酎をおかわりをしながら、うちひとりが神妙な顔つきで言う。
「女性のどの部分がエロいと思う?」
おそらくは洞穴で火を囲んで肉を食べていた時代から、ツィッターでつぶやく昨今におけるまで、古今東西誰彼ともなく、同じ問いが繰り返されているのだろう。人類に突きつけられたエロへの飽くなき問い、しかも「どの部分」。それはまた、子孫繁栄をいまに紡ぐ生命への問いかけなのかもしれないのであった。
男たちは上げた杯をテーブルに落とし、ふと考え込む。
軽はずみな答えは命取りだ。オトナが問われる瞬間である。
「やっぱ、胸っすかねえ」
「実はボク、尻フェチなんすよ」
このような答えはしてはいけないだろうことはわかる。
しかもこの話題がふられる直前、ぼくたちは旧日本軍がなぜ敗れたかの戦略なき戦術について議論をしていたのである。敗因はミッドウェイ攻略ではなくハワイ奇襲にあったと。
酔ったおじさんが集まると、なかなか興味深い。
「戦争の敗因」と「エロス」が同舌で語られるのだ。
これに対するぼくの答えはこうだった。
女性がエロいことを考えた瞬間
ほお〜、と声が上がる。
思い当たるふしがあると、だれかが言う。
以前の記事で「網タイツ」などといってみたものの、ぼくはいまひとつしっくりきていなかったのだ。エロさとはそんな表層的なものではない。
「Tバックは履くんじゃなく、するもの*1」
という名言もあるが、やっぱり精神的な部分を欠いていてはエロさに質量が感じられないものである。
たまたまパンツが見えようが胸が見えようが、そんなことは本質ではないのだ。エロいことを脳裏に浮かべた女性のエロさといったら、やはりない。
間を置いて、この議題を持ち込んだ男が言う。
「次の瞬間『やだ、わたしったら!』と恥じると、なおいいよね」
一同、うなづく。
誰かがタバコに火をつける。
おじさんたちは完成された世界観を共有したいのではない。むしろ不完全で答えのない世界に関心がある。「やだ、わたしったら」というシーンが男たちの追憶にあるのかどうかぼくは知る由もないが、少なくともエロさをひきたたせるには貞操観が必要だということを、男たちは知っている。
エロいことを考えた瞬間、女性はエロい。
貴女(あなた)にもしオトしたい男性がいるなら
ころを計り、そのようにしてもらいたい。
けれども「舌なめずり」には注意が必要だ。
多くの場合、その姿はまるで不二家のペコちゃんである。
タイトルがもう、なんのこっちゃ?である。
*1:Tバックは履くんじゃなく、するもの:パンツの両端をつかんで引き上げる様を言う。相撲のワザに近いかもしれない。
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