こんにちは、なおきんです。
今回は何を書くか全く決めずに書き始めています。 たまに、そういうことがしてみたくなります。 自分がこれから何を書くのか、数十分後、どんな内容を書いてしまっているのか。 そんなことを考えながら、書き始めるのです。 それらはたいていボツになります。 アップしないまま、いや、その場で消されてなんの跡も残さないものがほとんどです。 でもたまに、たぶん一年に一度くらい、そんな記事をそっとアップすることがあります。 まあ、そっとアップしようと、堂々とアップしようと、記事が更新されてしまうことに変わりはないんだけど。
ここ半年くらい、朝は早く目覚めます。
たいていは5時、早い時は2時、「そりゃ夜中だろう」というような時間に目を覚まし、バナナと豆乳をミキサーしたものを飲みながらWiiFitを軽くやり、シャワーを浴びてから身支度を整え、まだ薄暗いうちに家を出ます。 そのぶん夜は早く寝てしまうんですが、おかげで皆と仕事上がりに一杯飲む、ということをあまりしなくなりました。 夜中にダラダラとネットを徘徊することもほぼなくなりました。 長めにバスタブにつかり、その間、静かな音楽をかけながらiPadか本を読みます。 ちびきちはぼくがどこにいてもついてまわり、シャワーを浴びているときはバスマットの上で、バスタブにつかっているときは蓋の上で、まるくなって眠っています。前足の肉球をなめ、うしろ足で耳元を掻いています。 ときどきぼくを見上げ、どこからかおもちゃをくわえてきて、足元にポトリと落とします。 「遊んで」という合図です。
そのような毎日を過ごしていると人づきあいはいくらか悪くなり、そのぶん自分づきあいは良くなりました。 これまでいかに自分自身をほおっていたか、こういう生活をしているとあらためて気付かされます。 またしばらくしたら、自分をほおって、夜の街に繰り出すのかもしれません。 なにしろ寂しがり屋なので。 でも本質的にぼくは孤独が好きなのだろうと思います。
いかにぼくが孤独を愛そうと、昼間は会議やらプレゼンやら折衝やら指示やら相談やらで、ほぼ誰かとしゃべりっぱなしという時間を過ごしています。 望むと望まないにかかわらず、それらは日常的におこなわれます。 それでもたまに意識は地球の反対側をさまよったり、数年前か、十数年前の過去を思い返したりもします。 記憶や思い出はその人にとって燃料なんだと思います。 心が冷えたり自分が誰なのかわからなくなったとき、そっと取り出して燃やしては、自らの心を暖めているのだろうと思います。
いくつもの街を、いくつものトンネルを、ぼくは通りぬけ、そしていまも違う街の違うトンネルをくぐっています。 それが短いのか長いのか、くぐっている間はわからないし、基本的にトンネルの中はひとりきりです。 出口を求めて日めくりカレンダーをめくりながら、その速さにおどろくばかりです。
いつの間にか街からキンモクセイの香りがしなくなり、10月は半ばを過ぎました。 しとやかな雨に濡れながら、まだ薄暗い街を歩き、iPhoneからの無線ヘッドセットに耳をすませます。 聞いているのは『Sound Library 〜世界にひとつだけの本〜』というPodcast番組。 しみてくるような木村多江さんの朗読に重なるビアノ音のBGMがみょうにせつなくてわりといいです。 街の風景の輪郭がきわだってみえるような感覚が味わえます。
▲ 駅へ向かう路上にあるキンモクセイの木。 こないだの雨ですっかり花びらが散ってしまいました。 咲いてからまだ1週間しかたっていないのになんだか切ないものです。
この番組に限らず、iPodやiPhoneでPodcastingを聞くようになってから、ラジオの良さを再認識しました。 そういえばぼくは子供の頃からラジオばかり聞いていたような気がします。 小学生の頃は小型ラジオを自分で作ったりもしました。 そんなものから音楽や人の声などの放送内容が聞こえてきたときの感動は、そう簡単には消えないものです。 イヤホンを耳に突っこみ、いつまでも聴いていました。
さてここまで書いて、読み返しもせず、消しもせず、そっとアップしてみます。 だから、そっとアップしようと、堂々とアップしようと、記事が更新されてしまうことに変わりはないんですけど・・・
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