現在のようにネットでホテル探しする手段がなかった頃は、ほとんど足を使ってホテルを探していた。
だいたいの場所を決め、その辺りで手頃そうなホテルを見つけては、直接宿代を交渉する。 言葉が通じない国では筆談や電卓をたたいて行なう。 物騒な宿もひとつやふたつではなかった。いまにして思えば、いささか無茶もしたが、そういうワイルドな旅こそ人生の醍醐味でもある。
あの頃のような旅を少しだけ味わいたかった。
日本で甘やかされた毎日をぐだぐだと暮らし、ただのその辺のおっさんに成り下がってはいるけれど、どこか「自分はまだ大丈夫」という自負があった。 あるいは自信を取り戻したかっただけだったのかもしれないが。
ところが魔が差した。
モスクワからサンクトペテルブルグへ行く当日、ネットを使って前もって予約してしまったのだ。 言い訳になるかもしんないけど、もうホテルを足で探す時代ではないのだ。 それはホテル側も同じ。 どんな安宿であれ、ウォーク・イン(予約なしでチェックインすること)のゲストより、ネットで予約するゲストを歓迎するのが時代の風潮である。 目の前の人間よりも、前もってクレジットカードで身元確認できるほうを信用するのだ。
“EasyToBook.com” というイギリスのホテル予約サイト。
偶然見つけたのだけど、ペテルブルグの宿もたっぷり登録されていて、もうより取り見どりである。
ロシアの宿は概して高い。 東京ならビジネスホテルクラスが、一泊2万円くらいする。 だけどこのサイトでは、そんなホテルが1万円程度で予約ができるではないか。 ちゃんと部屋や外観の写真もあるし、最寄りの駅や観光スポットまでの距離まで載っている。 「最大80%ディスカウント!」というのもある。 Googleのものだが、ちゃんとホテルの地図もある。 これがあれば迷いっこなしだ。 さっそく到着駅からも近く、手頃な”ネフスキー・グランド・ホテル” というのを選んだ。
苦労したチケットだったが、レッドアロー号は快適だった。
案内されたコンパーメントは4人部屋、すでに中年のロシア人夫婦と、ロシア人青年が、それぞれのベッドを陣取っていた。 発車まであと5分。 おそらくぼくの席は、急なキャンセルで空きが出たのだろう。
よほど疲れていたのか、発車するや否やすぐに眠りについてしまったぼくは、検札のお姉さんに優しく起こされる始末。 ベッドの堅さも枕の柔らかさもちょうどいい。 さすがはロシア鉄道が誇る寝台車である。
目が覚めると、備え付けのテーブルに4人分の朝食セットが置かれていた。 丸パンとハムとチーズ、ヨーグルトとパインゼリー、それからロールケーキ。 コーヒーは別売り(60円)で車両を担当しているお姉さんが運んできてくれた。
居合わせた見知らぬロシア人中年夫婦といただく朝食は、なかなか悪くなかった。 言葉は通じないけど、目が合うたびに、お互いにこりとする。 夫婦して太っていて、まるで愛嬌たっぷりのぬいぐるみのようである。 青年はまだ上の段で眠っていた。
▲ 見るからに人の良さそうなロシア人夫婦、一夜をともにし、朝食をともにした
朝食が終わると奥さんは薬をとりわけ、おじさんに与える。 おじさんはちらっとぼくのほうをみて、ビールジョッキを飲む振りをし、ニッと笑う。 どうやら飲み過ぎが原因で病気になっちゃっているらしい。
▲ サンクトペテルブルグ駅構内の朝のようす
けたたましいアナウンスのあと、列車はサンクトペテルブルグのモスクワ駅にすべりこんだ。 コンパーメントを出るとき、おじさんはその肉厚の手をぼくに差し伸べる。
「ヨイタビョー!」 せっかく覚えたロシア語がうまく出ず、代わりにおかしな日本語が出てしまった。
「ヨイタビョー!」おじさんがそう返すので、笑ってしまった。
おじさんも、奥さんも笑った。
まさかそのあとで、笑えない事態になるとは、
そのときは知る由もなかったのだけど・・・
▲ ええ、知る由もなかったです(エルミタージュ美術館の前で)
なおきんの身にいったい何が!? 次号を待て
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