先日パソコンに保存してあるデータを整理したとき
ふとアドレス帳に1227人も登録されていることに気付く。
メールを使いはじめて、はや15年。
今も連絡を取りあっている仕事仲間や友人のメールもあれば
もう何年も音信が途絶えたままのものもある。
ひとは成長するにつれ、行動するフィールドも変わる。
フィールドが変われば、おのずと交友関係も変わり、
やがて疎遠になっていく友人や仕事仲間もでてくるし
かつてあれほど好きだったひとも、また然りだ。
人類学者のロビン・ダンパーによれば、
知り合いとして認識できるのは約150人までだという。
人間は会話などのグルーミングと呼ばれる行為を通じて
社会的な絆を結ぶが、猿なら毛繕いといったところだ。
猿の群れならせいぜい55匹。 人間は150人。
もちろん個人差はあるだろうけど
まあ、そんなものなのだろう。
ネットコミュニケーションツールの普及は、
いつしかこの上限をはるかに超えてしまった。
個人的にはほとんどつかっていないツイッターも、
気がつけば300人近いフォロワーがつき、
しかもそのフォロワーさんたちには、さらに
数千人ものフォロワーがついていることがめずらしくない。
香港やドイツ、英国時代の友人や仕事仲間も
ミクシィやGREE、フェイスブックなどのSNSを通じて、
互いに近況報告を交わしていたりもする。
ぼくはほとんどそれらにはログインしないので、
数はものすごく限られちゃうのだけど。
それからこのイラ写もそう。
ここをきっかけに交友は増え、
同時に著しく減ってもいった。
なにしろひと月あたり3万人が訪問するのだ。
つながり続けていくのは容易ではない。
とはいえ、ネットがあるおかげで、
それ無しでは途切れることが前提であった交友関係も、
続けようと思えば、ずっとつながり続けることも可能だ。
でも思う。
そのことはメリットなんだろうか?
見つけてもらいやすい社会は、逆に窮屈に思う人もいるかもしれませんね
人気ブログランキングへ
クリックがありがたいです
最近のコメント