まだぼくが香港で暮らしていたころ、
年間海外出張は60回を超え、このうち
東京へは2ヶ月に一度くらいだったように思う。
当時ぼくにとっての東京は日常ではなく、
来るたびにひとつ、ふたつ新しい発見のある
いわば、ワンダーランドであった。
東京と香港とは、人口密度がほぼ同じ。
ひとの密集度も、距離感も、
建物の狭さもよく似ている。
そんな両都市の圧倒的な違いは、静寂さ。
特に電車内の静けさが、まるでちがう。
同じ地球上のものとは思えないほどである。
込み具合は香港以上なのに、
東京の車内の静けさは香港の十分の1くらいだろう。
出張の仕事をすべて終え、あとはホテルで眠るだけ
というときのこと。
曙駅のホームに降り立ったとたん
「てめえ、ふざけんな! ぶっ殺すぞ!」
と静寂を切り裂くような けたたましい声。
おどろいて声のほうに顔を向ければそこに
一見してホームレスとわかるおじさんが、
別のやはりホームレスなおじさんを怒鳴りつけている。
行き交うひとは無関心そのもの。
よくある光景なのだろうか。
怒鳴られているほうのおじさんは、
ぶつぶついいながらも、そばの階段のほうへ
そそくさと立ち去ってゆく。
ぼくはふたたび怒鳴っていたほうのおじさんを見やる。
「・・ったくよぉ、誰のシマだと思ってやがんだ」
とかなんとか、どうも憤慨やるかたないようす。
その時のぼくは、何しろヒマで、好奇心旺盛で、
おまけに旅行者という気軽さから、おじさんに向かって
「どうかしたんですか?」 と訊いてしまっていた。
するとおじさん、意外な顔をぼくにむけ、意を解していう。
「どうもこうもねえよ。 ひとの商売盗もうとしやがって・・」
鼻が曲がりそうなくらい息が臭かった。
前歯がないおかげで聞き取りにくいのだが、
どうやらこのおじさん、駅や車内で捨てられる
マンガや週刊誌を拾っては、元締めに数十円で
買ってもらうことを「商売」と言っているらしいのだ。
景気のいいときには一日5000円近く稼げた日もあったというが、
最近は、不況のせいか同業他者も多く、どうがんばっても
「3000円稼ぐのがやっと」 などという。
「格差社会だよ、ニッポンは」と、なげく。
なるほど。
駅の近くや構内で平台に積み上げられた100円新古本は、
このようなひとたちによって仕入れられ、売られているのだ。
また、このホームレスおじさんによれば、誰がどこの駅を
シマにしているのかあらかじめ決まっているのだという。
「誰が決めてるんですか?」 と訊くと
「決まってんだよ、とっくにさあ!」
と、おじさんの息はやはり臭かった。
日本人は、ホームレスさえも勤勉なのだなあ
とそのときのぼくはしみじみ思ったものだ。
香港も中国もドイツもインドもオランダも、
乞食といえば、通りに座って物乞いをするだけである。
いや、ぼくが子供のころの、かつての日本もそうだった。
「みぎやひだりのだんなさまあ〜、哀れな乞食でございます」
さいきんの乞食は
「ホームレス」などと肩書きもカタカナとなり
モノを売り買いして「商売」しているのだ。
着ている服も、かつてのそれよりずっと清潔になった。
けれども時代は、さらに移りゆく。
やがてiPadが発売されキンドルが日本でも普及すれば、
電子出版化はさらに加速し、特にコミックは
先行するケータイとともに「電子で読む」
のがあたりまえになってくるはずだ。
そうすればきっと
街のゴミ箱や電車の網だなから、マンガ雑誌が消える。
そのときあのホームレスはいったい
だれに向かって雄叫びをあげるのだろうか・・
「ペーパーレスvs.ホームレス」科学技術の進歩は必ずしもやさしくないのですね、ある種の人たちにとっては
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