「のぞかないでください」
といわれれば、ついのぞきたくなる。
「お手を触れないでください」
といわれれれば、やはりさわってしまうように。
あわただしく過ぎていくまいにち。
日本でくらしていると、だんだんと
ひとにさわらなくなってくるのがわかる。
外国では、欧米はもちろん、アジア諸国でも
あいさつ、握手、ハグは日常茶飯事で、
あいてに声をかけながら肩に手をおいたり、
手のうえに手をかさねたりなど、
なにかとからだの一部にふれていたものだ。
家族や恋人はもちろんのこと、
同僚や仕事あいて、他人ですらも。
「さわる」というのはなにかしら
交信のようであり、点検のようでもある。
たりないことばをおぎなうこともあるし、
あまることばをさえぎることも、たまにある。
たいせつなものだからこそ、さわるのだ。
つまり「さわられない」というのは
たいせつにされていないことなのかもしれない。
それは「あなたじしん」についてもおなじ。
あなたのからだの末端にある指さきや、足さき。
あなたのからだの中央にある胸やおなか、おしり、せなか。
さわってあげてますか?
おもえばずいぶんながいこと、じぶんによりそい
文句ひとついわず、だまってついてきてくれたカラダ。
寝るまえにいっしょにおふろにはいり、
あがると、しわしわの手足にクリームをぬりながら
「きょうもごくろうさまでした」と祖母がいうのが
幼いころのぼくはふしぎでならなかったのだけど、
自分をたいせつにするやりかたのひとつを、
そうやってぼくに教えていたのかもしれない。
あなたのその手は、きょうも
たいせつなものに
ふれるためにありましたか?
iPhoneケースの衣替え
「おかまデザイン」の次は、ずばり「骨」。 個人的には気に入ってるんだけど、これをみた会社の女の子たちは口々に「キモイ!」だの「こんなのもってたらモテないですよ」などと酷評。 でもね、このゴツゴツ感がまたクセになるんです。ほおら、さわってごらん。
というわけで、やわらかめの記事でした
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