このまま春一直線だな
そう確信したとたんにこの寒さである。
もう次の冬まで使うことはないだろうな、
と思っていたオイルヒーターの電源を入れる。
ぼくが生まれてはじめてオイルヒーターを知ったのは
高校生の時に家出をし、行き着いた先のロンドンのB&B。
そのアコーデオンのような不思議なカタチをした物体に
異常なほどほれ込み、日本でおなじものが手に入らないかと、
ほうぼう探し回った思い出がある。
やがて見つけることは見つけたのだけど、
買うのは諦めた。
1980年初頭の日本においてそれは、
とても貧乏人が買えるような値段ではなかったのだ。
やがて暮らすことになったドイツの自分のアパートに
これが備えられているのを見つけ、
うれしくてうれしくて、小躍りしたものだった。
ハイツング。 ドイツ人はこれをそう呼んでいた。
なぜぼくがそれほどまでにオイルヒーターに惚れるのか?
それはなんといっても、そのカタチ。
レトロで、機能美で、多様で、やさしい。
ぼくの好きなヨーロッパのイメージそのものなんである。
基本的にぼくは暖房機がキライである。
ヒーターもストーブもコタツもカイロも、ぜんぶイヤだ。
あの顔が火照るかんじ、動きが鈍るかんじ、なにもかも。
とはいえ、冬の寒い時季に暖房なしでは生きられない。
冬じたいに恨みはないけれど、暖房が必要なのがうらめしい。
その点、オイルヒーターの暖かさは自然だ。 やさしい。
ほんわか、ぬくもり、そういえば外よりあたたかい、
そんな何気なさにあふれている。
風もなく、赤くもならない、さわってもやけどしない。
人間もかくあるべきではないか、などとふと思う。
押しつけがましくなくおだやかで、やさしく、ほんのりと
あ、いたんだ。 どうりであたたかいはずだね。
くらいの、
そんなオジサンとかなりたい、とか思う。
オイルヒーター
わが家では、夏でもしまうことなく出しっぱなしである。
真夏にこれが視界に入っても、ちっとも暑苦しくないのだ。
それどころか、いくぶん涼しそうにさえ見える。
ファンヒーターではこうはいかない。 不思議なもんである。
そんな風体のオジサンでいたいな、
などとまた思った。
△ オイルヒーターとひざの上のちびきち、ダブルにあったかです
寒暖はげしいこのごろです。どうか風邪などひかないようにね
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