成熟によって得たものは暇である。
この暇、なんてすばらしいんだろう。
浴びるほどの暇の中で、
時間との関係性のなかで生きる。
暇と自由は、どこか似ている。
仕事に追われているときも、まわりから
「暇そうですね」 といわれるひとにあこがれる。
人間の器量って、暇に見えるかどうか、だと思うから。
反対に、忙しそうに見える、というのはどうも貧乏臭い。
いわば、ただのルームランナーだ。
独りよがりに疲れ、おまけにどこにも行けない。
「あんまり暇そうなんで、そっとしておいてあげます」
そんな人がいたら、いっしょにいたい。
ふつう、人は暇な人を見つけては忙しくさせるから。
「暇である」というより、
「暇でいる」という暮しを極めたい。
無限の可能性が「暇」にはあるから。
未曾有の経済危機にみまわれる、と誰かが言う。
この危機はいつ終わるのか? と誰かが問う。
どうかな?
この危機は「変わる」ための節目だったのだと思う。
確実に、人の時の過ごし方を。
「偉大なる暇」
それがやってくる。
うれしいじゃないか。 なにしろ
暇をつぶす道具なら、はいてすてるほど、ある。
いま売れてるものって、暇なひと向けのものばかり、熱烈歓迎暇人
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