ギリシャ人の友人、名前をラキという。
子供の頃、両親と一緒にドイツに渡り、
自動車整備工場を経営している。 おそらくいまも。
ヨーロッパのひとたちはことのほか古代ギリシャ文明を誇る。
教科書ではギリシャ文明についてたっぷりとページを割き
子供たちにピタゴラスやユークリッドについて教えている。
ドイツの旅行代理店で、ギリシャを扱わないところはまずない。
2週間、3週間のパッケージツアーはあたり前で、
かつてぼくが一週間のエーゲ海ツアーを申し込もうとしたとき、
「ほんとうに1週間でいいんですか?」と念を押されたものだ。
欧州からのツアー客は、リゾートと遺跡巡りを同時に楽しみ、
かつ、自分の祖先について深く思いを巡らすのだ。
けれども末裔であるはずの在西欧ギリシャ人に対しては、
ドイツ人もフランス人もイギリス人もわりと冷ややかである。
現代ギリシャ人は、自分たちの仕事を奪う、
ただの外国人労働者のひとりでしかないからだ。
ラキもそんな在独外国人のひとり。
かつてのぼくと同じように。
ラキは友人からの修理依頼はほぼ無償で引き受ける。
おかげで、彼の修理工場は友人たちの車であふれていた。
それじゃ商売にならないだろうと、
ぼくが修理代を払おうとしても、頑として受け取らない。
「大丈夫、金持ちのお客から十分もらっているから」
彼はそういってウインクしてみせるが、喜んでいいのだろうか?
ラキはいつも強い香水をつけていて、
あるクリスマスの日、同じものをぼくにプレゼントしてくれた。
「ありがとう」と受け取るがまるで車酔いしそうな匂いだった。
2000年の春、妻が家を出て行ったとき、
それを聞いたラキは自分のことのように悲しみ、
辛かっただろうと同情してくれた。
その場で 街で一番おいしいギリシャ料理屋を予約し、
メニューにない特別料理をぼくに注文してくれた。
気持ちはわかるよ、とラキはウーゾを一口飲み
ぼくも昔なおきんの奥さんにフラレたからね、という。
告ったのかよ!(人の奥さんに)
素直すぎるラキを、ぼくはやっぱり憎めないでいた。
ラキはぼくにテニスを教え、ぼくはラキに野球を教えた。
もっとも野球はテレビゲームのことだけど。
そうして月に1〜2度、ラキとぼくはテニスで汗を流し、
夜は、ぼくの家でテレビゲームに興じた。
ラキのテニスは乱暴で、球は速いがコントロールが甘い。
それは野球ゲームも同じだった。
彼の人生もきっとそうなのだろうが、
ぼくの人生にも似ている。
ラキのことはめったに思い出さないが、
デパートの化粧品売り場を通りかかるとき
思い出すことも、ある
おそらくは強い香水の匂い。
そして、クリスマス。
いまもラキは、友人たちの車をタダで直しているのだろうか。
機械オイルと、ゴムと、アラミスの匂いを放ちながら。
そういや、ギリシャも久しく行ってないなあ。あと、ギリシャ料理も。
←いつも来てくれてありがとうございます。ポチッとひとつお願いします。
最近のコメント