”人間は考えることが少なければ少ないほど、よけいにしゃべる”
– モンテスキュー –
概して「寡黙である」ことを男らしさと考える向きは多い。 やくざ映画やハードボイルドで登場するヒーローは、たいていそんなタイプである。
そのことで、自らの口べたやおとなしさを「男らしさ」と甘んじている男たちは多い。 自分にも覚えがあるけど、とくにシャイな日本人はその傾向にあると思う。
たしかに、男女ともに「おしゃべり男」は嫌われる。 冒頭のモンテスキューの言葉通り中身が空っぽのようにみえるし、だいいちうっとうしい。
でもそのいっぽうで「つまんない人」というのは、たいていは口べたである。 ほとんどしゃべらないから何を考えているかわからないし、一緒にいても楽しくない場合が多い。
そのことがわかっていても、会話が得意じゃない男性は多いと思う。 実を言うとぼくなんかがそうだ。 自分を表現するのが下手だし、言葉だって的確じゃない。 曲がりなりにもしゃべれているのは、これはもう涙ぐましい努力の結果である。 しゃべらなくてすむのなら、そのほうがありがたい。
はるか昔まだ新入社員だったころ、どちらかといえば寡黙であるぼくに親切な先輩が、「相手にしゃべらせるのも会話だ」と励ましてくれたことがある。 相手にしゃべりやすい雰囲気をだしてあげて、つまり自分はひたすら聞き役に回るというわけだ。
その頃のぼくの手帳には
『自分に一生懸命になるな、相手に一生懸命になれ』
などと大きく書いていたのを思い出す。 自分のことを話すのは、相手が自分に興味を持ってからで十分なのだ、と。
相手が欲することをしゃべり、相手の言葉でしゃべる
というのは会話の基本だと思う。 とくに、ぼくのようにあまりしゃべることが得意じゃない人間にとっては。
男女の会話、
実はこれがなかなか難しい。 「自分をよく見せたい」という思いが無駄に話を空回りさせたり、はやる気持ちが相手の言葉を遮ることすらある。 たとえばバーあたりで男女の会話に耳をそばだてていると(ていうか聞こえてくる)、たまにそのような場面に出くわす。 どちらかが一方的に、相手をうんざりさせているのだ。
とくに会話の不得意な男なら、白雪姫に出てくるお妃の鏡、「鏡よ鏡よ鏡さん」でおなじみの、あの魔法の鏡になればいいのだと思う。
女性のおしゃべりは、わりと自己像の確認であったりする場合が多い。 私ってこうでしょ? 的な。 それを、アドバイスを欲しがっていると勘違いして「違うよ、こうすべきだ」などとこたえてしまうのが男。 しかし求められているのは呼応であって、解答ではないのだ。
魔法の鏡は、女性にアドバイスなどしない。
どんどんしゃべらせてあげて、タイミングよく「はい、お美しいです」と呼応しているだけだ。
「意味」ではなく「反応」である。
会話とは、相手にしゃべらせることである。
そう思うくらいが、ちょうどいいのかもしれない。
沈黙に耐えられないときって、自信を失っているときでもありますね
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