社会との関わり合いはそれぞれあるだろうけど、ぼくの場合は仕事である。 過去四半世紀にわたり働き続けてきた。 あらためて思えば、やっぱり長い。
ひとつのことをひたすらやり続ける、というのはぼくにとってはあこがれのスタイルだ。 なにしろぼくは、それの真反対のことしかやっていないからだ。 いろんな国で、いろんな会社で、いろんな立場で、いろんな商品を、いろんな方法で、売ったり、買ったり、作ったりした。 不連続性であり、不規則であった。
それによって得たものは多い。 失ったものも多い。
いいか悪いかじゃなく、それがぼくの選んだ四半世紀の過ごしかたであった。 だれかに与えられわけでも、また奪われたわけでもなく。
会社を経営したこともあるが、その後で平社員にもなった。 人生なんてミリオン・クロスロードだ。 まっすぐの道なんてない。 登り続けるエスカレーターもない。
「出世街道」、ぼくにとってそれは火星よりも遠い。
多くの才能をぼくは持たないが、あるとすれば「忘れること」。
そうでなければ、ぼくは生きてはこれなかったとすら思う。
かのダーウィンはいう。
「世界でもっとも難しいことは、人に新しい考えを受け入れさせることではなく、古い考えを忘れさせることだ」
企業であれ、国であれ、過去を捨てることは難しい。
なぜなら、取締役や官僚の多くは、過去に重要だったことの専門家であったために、今の地位まで上り詰めたからだ。
彼らは過去の成功事例は守らねばならないと信じる。 たとえ会社や社会の成長を犠牲にしてまでも。
ときに保身は生まれようとするものを殺す。
これまであなたも見てきたように。
これを読んでいる7%のひとたちが知っていると思うけど、このたびぼくは属す会社の拝命により、これまで勤めていた会社から別の会社へ異動となる。 「移動ではなく異動」というのも、ぼくにとってひさしぶりのことだ。 サラリーマンだなあ、とあらためて実感。
仲間たちと離れるのは本当につらい。
しかし考えてみれば、それもまた変化のひとつに過ぎない。 互いに新しくなるための変化だ。 仲間からはバラの花束が贈られ、68ページにも及ぶメッセージ本が贈られた。 送別の宴が何度も催され、食べ、笑い、飲む、泣く。
2年と少しの間、ぼくはそこに何かを残したかもしれない。 残さなかったかもしれない。 残るものは残るし、残らなかったものは初めからないのだ。
それはぼく自身にもいえる。
何を残し、何を育て、何を捨て、何を忘れるか?
それは自然ではなく、意志なのだと思う。
忘れることもまた、意志なのだ。
だからぼくの過去に悪い人はいないし、悪い出来事もない。
愛すべき人たちと、よい仕事があっただけだ。
そんな数少ない才能のひとつに、たぶんぼくは救われた。
おそらく、これからも。
△ 送別会でいただいた仲間たちの贈り物。ほんとうにありがとうございました。とくに「なおきんのみかた」というタイトルの編集本。暖かいメッセージや、ぼくについてのアンケート集計など、68ページにも及ぶ大作。 とても涙なくしては読めません。それからやたらとバラが多いのはなぜ?
■ 香港、六福亭でのワンシーン
先日、香港に行ったときに立ち寄らさせていただきました。パグのむいちゃん(♀)と昼下がりの情事のシーンです。ぶちゃん、写真をありがとう!
ごきげんよう、さようなら、ありがとう、はじめまして、おげんきですか?
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