世界最貧国のひとつ、東アフリカのマラウイ共和国。
赤土の大地は干ばつのためにひび割れ、畑には枯れた作物が貧相に点在する。 そこへ砂塵を伴いながら風が吹き抜ける。
そんな電気も水道もない貧しい国の、さらに貧しい村からのニュースに目がとまる。
「マラウイの少年、独学で風力発電に成功」
当の少年ウイリアム君(14)は、たまたま読んでいた本で風力で発電ができることを知る。 干ばつのせいで農家の父親の収入がなくなり、学費が払えず退学。 しかたなく図書館で過ごし始めたのがきっかけだ。 そこでたまたま読んだ本に風力発電のことが書かれていたのだ。
「水も食べ物もろくにないけど、大地と風ならいくらでもある」
ゴミ捨て場から拾ってきた自動車の部品や、森でとったユーカリの木などで、ひとり黙々と作業を続けるウイリアム君に、村の人たちは笑う。「何をやっているんだ?」と問い、「風車を・・・」と聞いて笑う。 誰も手伝わない。 呆れながら嘲笑し、ただ「あいつは頭がおかしい」村で噂をするだけだった。
ところが3ヶ月後、ついに彼は最初の風車を完成させる。 タービンが回り、電球に灯りがともる。 その瞬間、村の人たちは驚きとともにウイリアム君をののしるのをやめた。
それから7年間で5台の風車を完成。 そのうちの一台が校庭に設置されるやいなや、村人たちがやおら集まり、携帯電話を充電したり、ラジオを聴く姿が見られるようになった・・・
というニュースだ。
自分がいかにタイヘンであるかを訴える人は多い。
口を開けば不満を漏らし、「誰も自分を認めてくれない」という。
そんな訴えの声に「たいへんですねえ」と生返事をしながらも、ぼくは東アフリカのこの少年のことを思う。
彼は認められたくて風車を作ろうと思ったのか? と。
誰かに認められたくて動く人は、認められないとやる意志を失う。
周囲の嘲笑が耐えられず、意思を周囲に合わせて曲げてしまう。
目的は「認められること」であり「何をやるか」ではないからだ。
認められようが、そうでなかろうが、やるひとはやるのだ。
このウイリアム君のように。
「ほめられたい」という心理は、エリートで育てられた人ほど強いと思います。エリートじゃないぼくにとっては、そんなことどうでもいいんですけど。それより目的を見失うほうがコワいです
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