毎日まいにち1時間ほど、「何もしない時間」をつくる。
文字どおり何もしないということではなく、正確には「誰にもジャマされない時間」だ。 同時に「誰をもジャマしない時間」である。
電話にも出ず、メールもみない、おくらない。
ブログも、SNSも、もちろんテレビも見ない。
明日以降のことも考えない。 未来は楽しみであることも多いけれど、同時に不安の源泉でもある。 往々にして穏やかな時間のジャマになる。
熱いコーヒーにベイリーズをたらし、照明を落とす。
未来は伺い知れないが、過去ならわかる。 居心地のよかった時間や場所をみつけることができる。 逢いたい人もいる。 意識はしらず、そこへと向かう。
そんなとき、古い曲ばかりを集めたネットラジオ局にアクセスすることもある。 古いCDをラックの奥からひっぱりだすこともある。
記憶は古い曲につながれ、手が伸びてきてつかまれるのを待っている。 記憶は失われることはない。 ただ、どこに仕舞ったのかわからなくなるだけだ。
他人が持たない答えを、過去の自分は持つ。
ありがたいことに、目の前に壁があって、それを超えなくちゃならないときでも、むやみに他人に訊いたりせずにすむ。
そのことを知っているから「いまの自分」に手を抜けない。
いつ、未来の自分から手が伸びてきても大丈夫なように。
心たおやかに「何もしない時間」を作る。
未来を思わず、それを待つために。
△ 書く内容が思い浮かばないとき、眠くてしかたないときは、デスクのある部屋でなくここに立って書いています。 それでもダメなときは風呂に入ります。 それでもどうしても眠いときは、あきらめて寝ます。 仕事に差し支えちゃうしね。
「自分のための時間」ってみんな、どのくらいあんのだろう?
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