世界中のテレビ番組を見渡してみても、日本ほど「お笑い番組」の多い国はないんじゃないかと思う。 「お気楽でいいじゃない」「ストレス社会だから笑いが必要なんだよ」 といった声も聞こえてくるけれど、どう言われたって違和感が拭えない。
多すぎるのだ、どのチャンネルにも芸人が。
いったいいつの間に日本人は笑いが得意になったのだろう?
国際舞台における日本人のユーモアは、ひいきめにみたって貧弱である。 アカデミー授賞式の日本人監督のスピーチは、やはりイタかった。 それに象徴されるようにスピーチ、プレゼンテーションはもちろん、日常会話レベルにおいてもだ。
言葉の問題? あるいはそうかもしれない。
でもそれはお互いさまではないか。
どの民族だって、自分のところは特別だと考えている。 また、世界中で話されている言語数は、国の数よりずっと多い。 だから、「日本語や日本人は特殊だから」を理由にするのはもうやめたい。
いずれにせよ、日本人が得意でも特異でもない「お笑い」が、なぜかテレビでもてはやされる。 いまどき「ライブ」といえばお笑いのことだし、「有名人」もお笑い芸人が大部分を占める。
マスメディアによる愚民政策の一種か?
そうとも思えるけれど、そこまで考えてはいないだろう。
実のところは経済的理由。 「お笑いは安上がり」なのだ。
お笑い芸人というのは、すなわちテレビに出たがる人たちの集まりである。 テレビに出してもらえるならタダでも喜ぶ。 それ自体がプロモーションだからだ。
ふつうドラマや報道番組などの制作費は一時間あたり1800万円といわれる。 アニメも意外に高く、一話30分で1000万円以上かかる。
対して、お笑い番組はわずか200万円!
他に比べとんでもなく安い。 これで視聴率が上がれば(上がるんだな、これが)、広告費で一番組あたり5000万円とれる。 このうち電通などの代理店が1000万とるから、残り4000万円がテレビ局側にはいる仕組みだ。
どんだけボロいねん!(関西お笑い風に)
広告大不況により、ついに赤字決算のテレビ局。
収益を最大限上げようとすれば、視聴率がとれ、かつ安価な制作費番組を作ればよい、ということになる。
「お笑い番組」がいかに手っ取り早いか、もうおわかりだと思う。 さらに勘のいいひとなら、「M1グランプリ」だとか「レッドカーペット」とかの、お笑い芸人発掘番組がもてはやされる背景についても、察しがいくと思う。
つまり「お笑い」の量産は、テレビ局を肥やすためにある。
いうまでもないけど、国民の社会的ストレスを癒す目的などではない。 癒されるかどうかは、あくまでも受け手の解釈の問題だ。
テレビ局や広告代理店社員の平均年収はいまでも1000万円を超え、対して、こうした番組に高視聴率を与える庶民の給料はいったいいくらなのだろう? おもえば、そぞろ切ない話ではないか。
はっきり言ってしまえば、不況になればなるほど番組は低俗化し、低俗した番組が増えれば増えるほど視聴者もまた、低俗化する。 結果、世界のどこよりも低俗番組に高い広告費がつくようになったニッポン。
「お笑い」がもたらす低俗のスパイラル。
これは「不況」そのものより深刻なんじゃないか?
やっぱりぼくは「お笑い」には、笑えない。
テレビ画面からだけでなく、テレビ自体からも一定の距離を!
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