「カルチュラル・クリエイティブス」という言葉がある。
自然志向で本物志向、環境保護とシンプルライフに賛成、利他的で理想主義、成功や出世意欲より自己実現志向、未来に楽観的で読書好き、テレビは見ないがラジオは聴く・・・
といった傾向にあるひとを呼ぶらしい。
「なんだそれ、ぼくのことじゃないか」と思う。
さらにいえば旅行好きで冒険好きでもあるという。 起源はアメリカ、60年代。 こんな時代だからこそ、復古したのだろうか。
大衆消費社会が終わって久しい。
いまは自分のものは自分の目で選ぶ時代だ。 それだけに全体的に情報過多で、得ずしてお腹いっぱいである。 ものごとの隅々まで情報が行き渡り、闇がなくなり、ある種のロマンが感じられない。 そこに不満すら覚える。
満たされているのに満たされない。 そんなアンビバレントな未充足感。 その典型がコンビニである。 24時間いつでも開いていて、たいていのものがそろっている。 必要なものがなんだったのか忘れてしまうくらい不必要なものがそろっている。
食パンをひとつ手にとり買い物かごに入れようとした瞬間、別の手が伸びてきて同じ食パンをつかむ若いサラリーマン。 ああ、ぼくはこのひとと同じものをおそらく同じ時間に食べるのだ、と思う。
その瞬間、ぼくはその食パンに興味がなくなるのだった。
パンなら自分で作れる時代だ。 ホームベーカリー。
世界にひとつだけのパンを、自分のために作る贅沢さ。 焼きたてのパンのうまいことったらない。 炊きたてのご飯、陸揚げされたばかりの魚、もぎたてのトマト同様に。
とはいえ、自分で粉をこねてイースト菌を入れてオーブンで焼く、という手間はかけられない。 朝それを食べようと何時間も前から仕込むことを思えば、いくらパンがおいしくても寝不足が心配だ。
アマゾンでパン焼き機を買った。
会社でたまたまホームベーカリーに詳しい女の子がいたので、いろいろとアドバイスをもらいながら一台調達したのだ。 一万円とすこし。 10年前に買おうとしたときは3万円以上した。 失敗率も高いと聞いた。 いまの機械はバカでも焼けるそうだ。 ありがたい。
機種は「MK社のHBH-100」に即断。
聞いたことのないメーカーだけど、昔からホームベーカリーや餅つき機ばかりを作っているのだと知り、迷わず決めた。 こういう専門メーカーは職人が多い。 金や名ではなくプライドで働くのだ。
1.これがその MK HBH-100 複雑な温水ポットみたい
2.レシピ通り材料を入れ、最後にイースト菌を。まさか自分がイースト菌なるものを手にするとは・・
これがもう、信じられないくらい旨い。
もうコンビニの食パンには戻れないなあ、と思う。
材料とレシピは割愛したけど、このサイトが詳しいです。
店では買えない自分だけの一品(ひとしな)
シンプルであるとは、「代替品がない」ということでもある。
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